『お前が証人だ』写真館

2005/07/08

クリックすると720ピクセルの写真

「お前が証人だ」-バターン死の行進の報復-

昭和48(1973)年の遺骨収集 

キャンプ3
『昭和四十八年の遺骨収集』より

 アンブクラオ周辺の遺骨は全部ダムの底に沈められた由ですが、一時兵站病院のあったインチカクから数十、ボコドから一○柱ほど、終戦時集結したカバヤン及びその北東部落グサランからも二日がかりで数十柱収集しました。ここでは小学校や警察署などに宿営しました。プログ山東側峡谷の未開地へは結局比島官憲の許可が得られず入れませんでした。
 十二月三日、バギオにひき上げた晩、私は猛烈な腹痛におそわれ、戒厳令の外出禁止令が解ける午前四時、医師の注射を受けるまで随分苦しみました。ために三日四日は絶食をして休みました。四、五日はトリンダットで第二回の焼骨、ここにもアトックと同様、残灰を埋めたあと(二世のカトーさんが奥さんになっている家)に記念碑を建ててくれることになりました。六日、マニラに引きあげてからはモンテンルパの処刑者の碑、山下将軍終焉の地、カレリヤ霊園等を巡拝、コレヒドールの戦跡を見学して帰国しました。
戦争を詠む百首『アラビア丸雷撃を受く』より

魚雷受け傾けるままの船にゐて渇きを癒す術(すべ)知らざりき
海防艦に又助けらる八割が海没したる輸送船より
二番目の魚雷が当りアラビア丸は真っすぐに立ちやがて沈めり
救助にと向ひ来し船も魚雷受けあっけなく沈む様を見たりき
国旗手に唄ふあはれさ波荒くなりたる海に頭浮かべて
海行かばを唄ひつつ波間に浮く兵ら見捨てて離るる心暗かり
昭和57(1982)年ベンゲット80周年行事への参加と戦友の墓参り
行事への参加案内 マンゴーの木の下の戦犯処刑場
「墓穴十九は誰のものだったか」
と書かれている
1977撮影
バギオ公園にある尾崎士郎の碑文 尾崎士郎氏は「人生劇場」
ベンゲット80周年行事
ケノン・ロード
左 武田宮
白 観光大臣
黒 ラウル氏
海野さん
『苦節十年・バギオのウンノさん』より

それから十年経った今年の二月、私はフィピン移民八十周年式典に招かれて、バギオに行き、ウンノさんと再会しました。そして奨学生の数が、八十人から百二十人を超えていることを知りました。はじめ日系三世のみを対象としていたが、フィリピンの貧しい学生にも手を伸ばし、徐々にその輪が拡がりつつあることを知りました。そしてこの話を聞き、この事業に共鳴した元皇族の竹田氏が、今年に入って東京に会員数三千人の協会を作りあげ、資金面の援助をすることになったことも聞きました。こうしてウンノさんの育英事業は、経済的にゆるぎのない基盤を得ることになったわけです。
昭和48(1973)年のアルバムに貼ってあったフィリピンの絵葉書
多分バナウエ棚田
マヨン山
1993に噴火
ベンゲット道?

ほとに