あとがき
 
 本書の第一章と第二章はタウン誌「やまがた散歩」に連載したものです。すなわち「お前が証人だ」は、平成七年十二月から九回、「続・お前が証人だ」は、平成九年十月から十一回、連載したものです。
 そこに若干の間があったため、正と続にダブった記述が見られれる結果となりました。一書にまとめる際は、そのダブリは訂正されて然るべきものと思いますが、本書では敢えて訂正をしませんでした。訂正をはじめると、限りなく訂正が必要になってくるように思えたからです。原稿を最初から書き直さなければならなくなるからです。その点、お詫びすると共に、分かっていただきたい事の一つです。
 私は昭和五十年に『ルソンの山々を這って』(同刊行会発行)という戦争体験記を自費出版しましたが、日本兵捕虜の大量虐殺について何も書きませんでした。それは私が証人となり、私よりも筆の立つ人が書くべき問題だと考えたからでした。その考えは今も残っていますが、しかしこれ以上は待てません。男性の平均寿命を超えた今、カンルバンの霊たちとの約束を最低限度果たすためにも、これだけは書き残そうと思い、本書を編みました。第三章と第四章は、その補足的なものと思って見ていただけたらと思います。
 第五章は、海上特攻兵として中将湾に散華した兄の供養のためにもと思い、残された書簡類を載せました。兄はそのめざましい働きにも拘わらず、国からも軍からも一片の感謝状も一箇の勲章も受けませんでしたが、大田前沖縄県知事の「平和の礎(いしじ)」の刻名が唯一のニュメントでは淋し過ぎます。せめて親類縁者だけなりと、出撃前の兄の心情に触れてほしいと思い、書簡類を生の形で載せました。
 第六章の短歌は、文章の欠を補うものとして見ていただきたいと思います。記述的な作品が多く、情趣には富んでおりませんが、簡単に事件を理解してもらうのに役立つだろうと思い、詠んだものです。

 本書を編むに当たり、
  平田 耕造   元北里大職員。東京。戦友
  加藤三千子   元常陸宮邸女官。横浜。筆友
  山鹿 菊夫   画廊「龍山堂」主人。山形。歌友
 の三氏に特にお世話になりました。三氏の助力と励ましがなければ本書は成りませんでした。
 それと、
  緒方明(アレキサンダー A・オガタ)会社員。アメリカ。戦友
  孫●善   韓国陸軍中将。韓日協力委員会常任理事。ソウル市。
 の二氏の、海の向こうからのご声援も、上記の三氏に劣らず有り難いものでした。私に力と勇気を与えてくれる素になりました。
 そのほか、東京の落合秀正さん(故人)、高木俊朗さん(故人)、大分の佐藤喜徳さん、京都の中沢信午さん、前橋の今野精市さん、千葉の伊藤謙三さん、郡山の村上喜重さん、山形の清原浄田さん、高橋正司さん、広田良平さん、高梨みや子さん、高橋宗伸さんや波涛短歌会の皆さんにもお世話になりました。
 表紙絵は、東根市出身で神戸市在住の画伯、菅原洸人さんのものです。干支に因んだ龍の絵は見事で、本書を飾らせてもらいました。 第五章、第六章の扉絵は、加藤三千子さんに無理に頼んで画いてもらったスケッチです。画家ではない加藤さんの絵には心がこもっていて、本書の単調さを救ってくれました。
 最後に多忙な中、校正を引き受けてくれた鈴井正孝さんと、出版社の一粒社に感謝いたします。

 平成十二年三月十一日                        後藤利雄