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  この建物はなんだ。なぜ撮ったんだ。何年も解明できなかった謎だったが47の写真が『華北交通』、中国においては『京漢鉄道本社』(北京漢口鉄道)であることが、ある写真から判明した。そうすると47右は東長安街と王府井大街の交差点になるじゃあないか。現在、巨大な北京飯店が建っている場所だ。現在の北京飯店の写真を見てみると48の部分が中央に残って、47の場所には新館のビルがあるんだ。
 星崎定五郎というアメリカ移民の先駆者となる方がおり1940年、売りに出されている北京飯店を20万ドルで買収し、太平洋戦争末期まで、営業を続けたという。新旧二館に分れ、新館は間口75間(約136m)、石造7階建、旧館はそれよりやや小さい建物で、外観内容共に規模広大、まことに堂々たるものであったとのこと。
  41のイタリア兵舎の北側の空地が妙に気になる。後述の粛親王府の北側城壁があった場所を整地したのか。現在のだだっ広い東長安街の原型になっている場所なのである。