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 この写真も謎だった。まあ近代的な建物が多く、空地が多いなと思っていたくらいだったが、右上隅に上写真の『華北交通』ビルが写っているのを発見。とするとここは『北京の55日』で有名な『東交民巷』じゃあないか。地図の37、40は地図と同じ形の建物が写真に残っている。37は中国の海軍関係の事務所、40はイタリア公使館、35の場所が北京クラブとなっている。24はフランスの兵営だった。40の左に日本公使館や兵営がある。
 1858年、『天津条約』に基づき帝国主義の列強は北京に大使館を開く。1901年、『辛丑条約』によって東交民巷は本格的な治外法権地域になった。
 1937年の盧溝橋事件から1945まではほとんどが日本の支配化におかれたとのこと。
 1900年の統計によると、市街区の人口は80万人弱であった。