天保(1830〜1843)の頃の村山地方

2006/02/07

 山形県方言概説(1972 山形県方言研究会)をパラパラめくっていたら矢作春樹先生の文章の中にこんなページがありました。今まで目にした事のない資料だと思って掲載させていただきました。
 現在の山形市に対して殿様が一人で堀田村のように所々に飛び領が存在していたのと思っていましたが、まったく認識違い。この図の時代の秋元家にしたって霞城および山形西部に多少領地を持つのみで、他はもうグジャグジャの入り乱れだったんですな。殿様の城下町というより一屋敷に一藩が入っていた参勤交代の時の江戸の町を持ってきたような感じであります。
 上山はさすがに松平、現在の上山市をほぼカバーしていたのでござそうろう。大江町、朝日町はほぼ酒井家のものだったのか。明治維新の時の酒井家による天童の焼き討ちなどに代表される戦争のゴタゴタもなんとなくわかるような・・・ だけど現在、朝日や大江の人が「○○○ノー」って庄内弁で話すのは聞いたことはない。住んでる人は変わらないで支配者だけが代わったってとこか。
 秋元家が国替えした群馬県館林市や堀田家が国替えした千葉県佐倉市などに「ズーズー」弁のルーツを辿れたりして・・・

 


1.上杉弾正大弼領分(漆山)
2.米沢伊勢守領分(長瀞)
3.戸沢大和守領分(新庄)
4.土屋釆女守領分(北目)
5.松平山城守領分(上ノ山)
6.織田伊勢守領分(天童)
7.阿部飛弾守領分(山ノ部)
8 酒井春之進領分(左沢)
9.添田市郎次支配職寒河江守(寒河江附)
10.添田市郎次支配職(柴橋附)
11.大貫治工門支配職(東根附)
12.堀田相模守領分(柏倉)
13.秋元但馬守領分(山形)
14.大貫次右工門支配領分(尾花沢附)