腎臓結石 今までの中で一番痛かった出来事
好評に答えて再度山形弁にて
「八っつあんや、今日はいっだい話してける。」
「熊さんや、おもしゃそうだな。」
「まず聞がっしゃい。ほれ寝すぎで背中が苦しくなったごどあっべ。ほんどきは寝すぎてもいないのにほだなあんばいなて、おがすいな思ったげんと、ちょっとすっど治っから気にすねでだっけのよ。んだげんと、三日目の朝(1998.08.12)突然5時ころから”苦すい!痛でぇ!”の感覚でなんともならねぐなったんだず。
救急車呼ぼうかと思たぐらいだっけげど、がんばて自分で運転して出発したんだず。」
「熊さんや、どさ。」
「内科さいったんだず。」
「なしてや。」
「んだてよ、病名もわがらねで最初から泌尿器科に行くのもなんだと躊躇したんだず。
青い顔をして痛み止めの注射をしてもらて点滴もしてもらたんだげんと、あんまり痛ぐなぐならねくてよ。痛っだい顔したら先生が泌尿器科ば紹介してけで、そっちゃ向がたのよ。」
「最初っからほっちゃ行ぐどいいっけの。」
「『痛っだい痛っだい!もうがまんでぎねは。』と受付で騒いだら、待っている患者さんいだんだっけげど診察室にえっでけだんだじぇ。A先生が『痛いだろう痛いだろう』としゃべりながら、痛み止めの注射ば背中さ二箇所『プッス』とうってけだんだず。ほしたらよ、たまげだったらなんと瞬時に痛みがスーっとなぐなったんだじぇ。こんどきほど『あ〜いがった』と思もたごどねえな。ほんてんよ。」
「ほしてなになた。」
「ほれがらが長いっけのよ。『レントゲンで石を探して衝撃波で砕くので今日中に治ります』と言わっで病室で安心しながら待ってだらよ先生から呼ばっで『写ってないので、出たんじゃないだろうか』と言わっだがら んだべがという気持ちで退院したんだず。
お盆の前の日ということで会社の連中と一杯やって帰て寝だんだず。ほしたら1998.08.13の朝4時 昨日よりずっとひどい痛さで目が覚めだのよ。『ダメだこりゃ』と思もったげんど、この時間に医者さ電話しても気の毒だと思もて、6時までがんばたんだず。泌尿器科に電話すっど『今でも薬は出せるけど、先生来てからの方がいいからもうちょっと我慢して』と言わっで、8時まで七転八倒しながらがんばて、まだ医者さ行ったのよ。ほしたら今度は注射んなくて座薬なのよ。おなごの看護婦さんがしてけだんだげんと、まず恥ずがすいなて思わねっけな。」
「何してけだのや。」
「けっつ。」
「わがたわがた。」
「昨日ほどの感激すねんだっけげど2〜3分で痛みがなぐなったっけ。再度レントゲンだず。『見えないくらいのがまだあるけど場所が特定できないので手術できないな。薬で溶かして治しましょう。』ということで薬をもらて帰宅。座薬の効き目が3時間くらいで切れ、ほだい使用すんのも悪れということなので、あとは苦痛との戦いでだっけは。“苦痛”という言葉は血石のことんねがと改めて思もたりしたっけは。座わてらんね 寝でらんね 立ってんのもバカみたいだし、当然落ち着いてテレビも見でらんね 本ばも読まんね 山にでも登っかとも思もたげんと頂上でどうすようもなぐなたら救急車も呼べねと考えてやめたず。庭さ出て縄跳び、ジャンプば繰り返ししたず。『落づろ!落づろ!』と念じながらいぐらしても石が落ちる気配はなし。いやはや大変だっけ。」
「ウー やんだやんだ。ほしてだんだん痛だぐなぐなるんだべ。」
「んだな、まあだんだん痛だぐなぐなる感じはしたな。お盆休み最後の日までほいずが続いだのよ。ほして、ほの夜親戚と会食してビールをガバガバ飲んで帰ったのよ。『そろそろんねべが』とトイレで小便したら、なにが異物が尿管を通過した気配。『やったー!!ウワー でたー!!』3〜5 mmぐらいの黒い板状の破片が出できたんだじぇ。」
「いがたべず。なしてなんのや。」
「よっく先生もわがらねようなんだげど、牛乳の飲みすぎどかカルシウムの取りすぎどが原因だなて言わっでるみだいだな。体質もあんのんねが。」
「骨折より痛いっけが。」
「全然違がうべず。骨折は動ごがして悪れだけで何がぶっつかったりしなければ痛ぐなないんだず。石のほうが治り方が感激的だっけな。」
「熊さんや、今度なになんのや。」
「しゃねっだな。おまえもなてみろ。」
2000/12
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