渓流釣りで骨折したときの話                   

 

なんといっても変人の人生最大のイベントを語らないわけにはいきません
時は1997/04/19山形市は桜満開の快晴日でした 場所は小国町玉川上流 飯豊山から流れ出る桧山沢 大又沢 の出会いでございます。
 まずは閑話休題 玉川の話  
山形からは小国を過ぎて荒川沿いに新潟方面にどんどん進みます 赤芝峡を過ぎしばらく行くと 
東芝セラミックスの文字板がかざられたダムが見えます そのダムの手前に玉川を渡る橋があり橋を渡ったらすぐに右折しダムに降りていくように進みます。あとは一本道 道なりに20分くらい運転すると国民宿舎 梅花皮荘(カイラギと読む)があります。 
梅花皮荘に着く寸前の赤い橋を渡らずにまっすぐ山のほうに進み、玉川を右手真下に見る崖の中の道を進むと10分くらいで飯豊山荘に着きます
(崖から落ちる危険性はおおいにあり 落ちたら絶対それまでですので自信のない人はやめたほうがよいです)  
飯豊登山の拠点の山荘であります。車はそこまでで、あとはお好きなコースでお登りくださいということになります。
その地点からすぐに登るコースもありますが、広い道を10分くらい左手に玉川(茂助沢)を見、ブナの森林浴をしながら歩いていきますと温身平に着きます。
 この辺で1995か1996に男性が消息不明になったという事件がありましたが、その後どうなったのかはわかりません。新潟に近いのでキム・ジョンイルの子分がさらっていったのかも!  
桧山沢と梅花皮沢が出会うそのあたりから見る北股岳は堰堤を流れ落ちる滝とあいまってすばらしい美しさです。みなさん是非行ってみてください 北アルプス上高地をしのぎます  
 梅花皮沢方面に足を進めると天下の石転び沢
(毎年登山者が滑落して死亡・大怪我をする美しいが危険な万年雪沢です ヤフーで検索窓に【北股岳】とか【石転び沢】と入力すると美しい写真がいっぱい見られます)
への登山道 桧山沢方面は飯豊本山への登山道です。
  さて4月19日はまだ梅花皮荘手前の橋の所にゲートが設置されており、飯豊山荘までは除雪はなっているが車では行けない状態でした。
AM5:00 ころその地点に着いた変人とA社長は用意してきた原チャリを下ろし二人乗りで出発。エンジンをかけっぱなしの先着者らしき車あれども寝ている様子で、気の毒には思いながらも抜いて行きました。歩けば1時間くらいかかる温身平まで15分で到着。遅くともAM12:00 には落ち合う約束をしてA社長は梅花皮沢、変人は桧山沢にと分かれました。
 先週 50cm以上はあろうかという大物を落としたポイントまで一目散で走って行って『今日こそは!今日こそは!』といれこみすぎながら準備です。積雪はまだ1mはありました。ワクワクしながら釣り始めましたが10分20分と時間のみが経過していきます。
 来ません!(釣れません)『誰かが持って行ってしまったのか?先週の俺の釣り針で出血多量で死んでしまったのか?』と気が気ではありません(ちなみに岩魚は針を飲ませても死なず、糸を切ってやれば糞と一緒に排泄されるというのが最近の定説だそうです)
イライラはつのるばかり。しかし同じ場所では45分が限界でした。やはり我々の習性として上に行けば大物がいるのではということで上に上にと向かう傾向があり、さらに上流に向かいました。
25cm程度のを2〜3匹釣りましたが50cmなどとんでもなし、尺すらきません。
 桧山沢 大俣沢の出会いが水が溜まりいいポイントになっていました。しかし道になる右岸は崖でとても竿を出せません。なんとか大俣沢を渡って向こう岸から釣れないものかと桧山沢の渡渉 
これは水量があるわりに岩盤が都合よく水上に露出しポンポンと飛び跳ねて完了。さて大俣沢を渡ろうと浅い場所を物色中の時にその悲劇は襲ってきました。岸は斜度30度くらいの岩盤です。
川から2m位雪はなくなっており、ブナの枯れ倒木が横たわっており1m位の積雪を背負っていました。釣れないイライラからか 油断があったのか 危険を知らせる勘が働かなったのか 地面が滑るため倒木の下にいる時にその枝を手懸りにし引っ張ってしまったのです。雪からも押されたのでしょうが突然倒木が滑り転がり落ちてきました。あとから考えるとその時川に飛び込んでしまえば冷たいだけで骨折まではならなかっただろうと思いましたが、 その時はかわせるだろうと一瞬思い それが命とりになってしまいました。 
 足が木から轢かれ『痛い!!』と思った瞬間転んで倒木といっしょに川までズルズルと滑り落ち頭からドッボーン。『冷たい!!こりゃ困った』など考えながら釣りざおを右手で握っているのに気づき  もったいないけど手放すかなどと考えながら右手を開いた記憶があります。
水深は2mくらい 流れがさほど強くなかったのが幸いでした。雪解け時期なら一気に流されてしまっていたでしょう。 
 その後は陸に上がるための悪戦苦闘。滑る岩場に手懸りを見つけ懸垂で体を引き上げました。座れる場所を探し、アッタックザックを放り出しバターン。休んでいる間もなく激寒が襲ってきてなんともならなくなりました。体全体がガタガタと震えるのです。
びしょぬれのタオルを絞って拭けるところは拭いてがんばりました。アンダーウェアが綿だったらその激寒はもっともっと続いたでしょう。ダグロンのアンダー(汗を吸い取ってしかしすぐ自分自身は乾く性質の生地)のおかげで20分もすると体温が戻ってきて震えもおさまってきました。チョモランマで凍死するアルピニストの気分はこんなのかな?いやちょっと違うだろうな などと思いつつ足の点検、渓流靴 渓流ソックスの左足踝(くるぶし)のところに穴発見。木の枝からやられたと思いながらソックスを脱ぐと中は血が溢れていました。タオルで拭いてよく見ると踝(くるぶし)のところにカマイタチのような3cmのまっすぐな中の肉まで見えるような切り傷発見。こりゃ出血多量でやばいかなと思いつつもタオルをグルグル巻いてソックスを履き直しました。事故後一時間くらい経過してやっと動き出す気になり、ピッケル杖で支えながら歩き始めました。
桧山沢の中洲になっている岩盤の上でたたずんでいるときに上の方からザクッザクッという多人数の足音 話し声が聞こえてきました。なんとあの高名な小玉川のマタギ衆ではありませんか。体は動かせるので救助を頼むなどという気にはまったくならず、かえってなにもなかったようにやり過ごすことだけが頭にありました。川から陸に上がって『こんにちわ』の挨拶をし、会話を始めました。昨日は石転び沢方面で一匹駆除したとか今年は4頭狩猟したら終わりだとかの話を聞かせてもらいました。 マタギ衆といってももう一般の登山者とたいして変わらない格好です。ただみんな腰の後ろに熊皮をつけています。足を引きずるのは隠せないので『そこで足をくじいた』とか取り繕って分かれました。もし救助でもされていたら次の日の新聞に実名がでていたことでしょう。
 待ち合わせ場所の桧山第一堰堤の上まで2時間位かけてたどり着き(通常だと40分位の距離)
上から眺めるとA社長が釣り糸を垂らしていました。大声で呼んでピッケルと手で×の形を示したところA社長はあわてて上に駆けつけてくれ涙の再開となった次第であります。原チャリ地点までA社長の肩を借りてたどり着き、梅花皮荘付近までバイク行。通過する車の目を気にしながらパンツを脱いでの着替え。とにかく早く傷を縫ってもらうことだけが頭にあり、女房に携帯電話で『土曜やっている外科はどこだ?』などと聞き 山形Y病院まで走ることにしました 。
 山形に着いたときは片足でピョンピョン跳びしないと歩けないくらい痛みが増していました。Y病院で傷を縫ってもらい、レントゲン撮影。先生から『あーぁ3箇所も折れている』と言われその時初めて骨折判明。膝下には2本の骨があり外側の細いほうが折れているのが一番大きい場所でした。『S病院で見てもらってください』とS病院に連絡してもらい治療が開始されました。骨折治療で一番いやだったのは ある一人の看護婦さんだけなのですがギブスを切るときに回転のこぎりの歯を足本体に落とすのです。ギブスと肉の間には厚手の布のようなものがあるので『絶対切れないから』と言いながら落とすのですが、摩擦熱が発生し熱いし恐怖でまったく冷や汗タラタラでした。その看護婦さんの担当にならないように祈りながらの病院通いが続きましたが3回はやられました。
完治したのは秋口にもなる9月でした。この歳になって骨折するとは思ってもいませんでいたが、出来るならしないほうがいいでしょうね。だけど人生で一回くらい経験するのもいいかも。

2000/12/19 写真が手に入りました

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