山の話だ、読んでみそ!

2003/04/01


変酋長談 山東サッカー時代の同級生が山男だったのを先日知りました。そして彼がスキャナーを購入し若き日の写真入の自慢話を送ってきました。出合川など何回も行き滝壷に飛び込んで50cm岩魚を獲ったこともあるそうです。はたしてこの人は誰でしょうか?

岩手大時代から山登りは始めた。岩手は山ばかりだが、それがいい山ばかりなのだ。
山岳部ではないがしょっちゅう山にばかり行っているサークルに入り岩手山などは春夏秋冬あらゆるコースから30回以上は登っている。山岳部の友達が一人いて、あちこち個人的な登山をした。彼に冬山・ロッククライミングなども本格的に教わり、登山技術は山岳部員と引けを取らない位までになっていった。
 大学を終わってからも、マッターホルンを登ってきたという人と知り合い、何時も後を付いて山に行っていた。
その頃の登山は

 剣岳・八峰ロッククライミング
 谷川岳・一の倉沢
 正月の北穂高岳・北稜
 正月の槍ヶ岳・北鎌尾根
 2月の鹿島槍ヶ岳・東の尾根より登頂
 その他、冬の南アルプス・八ヶ岳は訓練、練習
などなど・・・年間120日ほど、山行の日々があった。

 ちょっとやり過ぎたせいか、腰を痛め椎間板ヘルニアの初期症状が出てきた。物を押したり引っ張ったりが出来なくなった。これは一大事。とても山どころではなかった。

椅子に座ってする仕事しか出来ないのではないかと非常に心配になった。
 そんな時、盛岡に行ってから友達になったSから聞いていた歯科技工なんていうのを思い出し、彼に相談に行き(当時Sは歯科大6年生でまだ盛岡にいた)その道に進むことになる。24歳のことであった。
 登山を断念し仙台の技工士学校に来たが、一面ではこれで山で死ぬことは免れそうだとも思った。何故なら、当時は登山に自分で歯止めが利かなくなっていたからだ。
 26から歯科医院に勤め始め、まもなく山岳部の友達から、『来年山岳部OBで、アラスカに登山に行く計画があるのだがお前もどうだ?』と話があった。『返事は聞くまでもないだろう』と即答。俺だけOBではなく部外者だがメンバー皆盛岡時代に酒飲みで顔見知りの連中だし快く受け入れてくれた。(もちろん登山技術も山岳部並みと認めてもらった上で)
 最終的にメンバーは6人となった。うち、女性一人(小学校教員になって二年目の24の女の子)。 皆社会人で二週間の休みが精一杯だろうということで、お盆休みに引っ掛けて八月下旬の半月を登山期間と予定した。
アラスカと時期が決まってから登山可能な楽しめる山を探した。
マッキンリーは最低でも一ヶ月は必要だからまず無理だ。
二週間、余裕を見て十日で終了できるところと探して、アンカレッジより東北東にあるランゲル山群のMt.ドラムに決まった。
そこは標高こそ3600m程だが、高緯度・独立峰で周囲はツンドラ地帯・氷河もあるし、極地登山の雰囲気が十分楽しめた。

写真1

全メンバー、右後ろがMt.ドラム

写真2

近くの町からセスナをチャーターしツンドラ地帯を50km飛んでMt.ドラムの麓に降りたところ

写真3

デナリ国立公園のMt.マッキンリー!麓からの眺めは圧倒的であった

'78年には、日本から三つの登山隊がMt.ドラムに向い、登頂したのは我等だけであっ
た。  (日本からの登山者としては初登頂ということで、『岩と雪』に紹介された)
 登山は一週間ほどで終了し、後はレンタカーでアラスカ中を見て回った。 

それから25年が経ち、当時の隊長(写真1で、一番右のU氏)は、翌年より毎年アラスカに通い今では日本人として初めてのフィッシングガイドとなり東京に一戸建てを持ちながら一年の半分以上はアラスカで暮らしている。彼のHP

http://www.ne.jp/asahi/tourist/index/world/news/alaska/0912.htm

ここにはアラスカのほとんどが網羅されリンクされている。一見の価値あり。