怪人太郎のたわごと

私を誘う渓流釣り  

 私が釣りを知ったのは幼稚園に入った頃からだと思う、その頃は沼にはいって鮒・海老等が対象でありのんびり釣り糸を垂らして浮子を眺めての釣りでした。小学校四・五年の頃親父から小さな川に連れていかれ竿には糸が一メートル余り、後は針とおもりとただそれだけの仕掛け。餌はその当たりに居たと思われるバッタ。そんなただ単純な仕掛けで岩魚を沢の落ち込みの中より引き出すように釣る親父を羨ましく思っていた私でしたが、鮒釣りの道具を揃えていた私には、何と無く岩魚釣りの道具には物足りなく思い、今ひとつ岩魚釣りにのめり込めませんでした。

 そんなある日、親父の兄と従兄弟の二人が雨の中を沢釣りに出掛け、釣って来たのか殆どが二十五センチ以上でそれを一晩かかって炙り、弁慶に刺して家にぶら下げられた。その時の事が渓流出りをするきっかけになった様です。

 中学になって、一万円のカーボン竿を買い求め、益々岩魚釣りにのめり込んだ私に、親父や親父の友達より岩魚を釣るときの注意、餌の取り方・山歩きの注意等を教えられ、私の渓流釣りの基礎が出来たのだと思っています。
 この時の釣り方は、糸と針は太く大きく、餌はミミズかその辺の昆虫。ポイントにはゆっくりと静かに近づき、太陽を背負わないで出来るだけ体を小さく、釣り上ける時はごぼう抜さ、釣りに行くとさは一人で行き、釣れる場所は秘密にする等でした。

 そんな釣りをしている時ルア−やフライという外国から入ってさた釣りにも興味が湧きルアー・フライをやりました、確かに大きい魚が釣れましたがやはり、リールの付いている芋での釣りは、日本の川や沢にいる大きさの魚では面白みに欠けるのでは、やはり狭い川や沢の多い日本では、ミャク釣りテンカラ釣りの方が面白いと思いました(現在、外国産の魚が色々な場所に放流されているので、ルアー・フライをする人は面白いでしょう。しかし、日本の自然形態を壊してまで釣りを行っている人は、私としては釣り人では無く只の暇つぷしに釣りをしている人外国の釣りにかぶれてミエで釣りをし生餌を触れないのでルアーやフライをしているのだと気取っている人にしか見えない)何故なら、狭く奥深い渓流で身体を使い、頭を、道具(渓流芋・糸・針・錘・餌)を活用して、岩魚・ヤマメを釣り上けてゆく、そして工夫をしても釣れ無い場所は、魚を大きく育て魚が増えていく場所とし、無茶な釣りはやらない事として行く釣が日本の自然にあった素晴らしい釣りだからです。
 現在、私の釣りに対しての考えとして、一つの川に三回程度の釣行とし、漁協の放流規定より河川に応じて放流サイズを大さくする事、一つの川でのキープ数は十匹とする。ミャク釣を行いダム等の上流の流れの無い場所ではしない、ゴミを釣場に残さない、渓流釣をする時は無理をしない、等としている訳です。
 この頃、釣に行き川を下って来る途中、頭の中に湧いて来るのが、岩魚を釣ると言う事は、自力の体力を失い寿命を削り、自然を慈しみ、そして出会う岩魚がいるからこんなに疲れ果てても、又こんな目に会いに来るのかなー、釣った岩漁一匹一匹は、自分の命を少しすつ餌にまぷして釣ったのと同し様だなあと思っているこの頃の自分です。

 

 

 

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