千歳公園・千歳山公園の石碑 2002/02/08
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郷土の偉人発見。安達峰一郎博士の資料見ていて宮城浩蔵氏を知りました。なんと明治法律学校(現明治大学)の創設者の一人なのです。明治といえばすばらしい大学で義兄の親しい同級生が教授をしております。しかし、今までまったく知りませんでした。 |
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また博士の資料の中に関山新道事件なる明治十三年の三島通庸県政対地元住民の政治抗争事件があり、天童村の佐藤伊之吉なる総代様が安達家の本家の先祖、安達久右衛門とともに登場してます。三島通庸と戦ったのです。どうやらその方は天童の名門で宮城浩蔵氏のごく近い血族のようであります。同じ法律専攻ということからも当時十代前半の峰一郎博士は宮城浩蔵氏にあこがれて進路を決めたのではないかなどとかってに納得しました。 |
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やはり細々と字が書かれた石碑 |
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戊辰戦争の碑もあります。 |
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ここから千歳山公園 |
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山形市松山の千歳山公園に、物部守屋の碑がある。明治二十九(一八九六)年十二月二十三日の建立で、篆額(てんがく)が有栖川(ありすがわ)宮熾仁(たるひと)親王、撰書が伯爵東久世通禧である由が刻されている。熾仁親王は、 |
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有栖川宮9世。幼名は歓宮。幟仁(たかひと)親王の第1王子、母は佐伯祐子。京都生れ。 東久世通禧<ひがしくぜ みちとみ>(1833-1912)(天保4−明治45)公家
8月18日の政変で追われた七卿の1人。 |
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