もう一つの滝の山
写真 2004/11/07
文章 2006/01/21
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西行と「たきの山」の話 又のとしの三月に出羽の国に超えて、たきの山と申(す)山寺に侍(り)けるに、櫻の常よりも薄紅の色濃き花にて、並み立てりけるを、寺の人々も見興じければ たぐひなき思ひいではの桜かなうすくれなゐの花のにほひは 以上の西行が残した文書と歌によって、山形の歴史学者や民俗学者の先生方は『たきの山』は「西蔵王だ」 「いや長谷堂だ」と長年にわたって論争をしていました 変酋長の親父は西蔵王派の代表選手を長いことやっていました。その相手の本沢の「滝の山」の写真であります 十年位前からその「三千坊」とも称される「滝の山」に行ってみようとは思っていたのですが、場所がわからずにいました。348の旧道に入る場所が盲点だったのであります(かなり細い道なので)
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川○氏は当時、郷土史の神様とも言われ、その発言を無批判に信奉する人が多かった。信奉しないまでも、その説に正面から楯突く人はいなかった。それに、『△△百話』には文化人の代表、結城哀草果が序文を書いて推奨したので、長谷堂滝の山説はますます強固なものになっていった。そして川○氏の論は、地理学者、長○△太郎氏をも動かし、氏はその著『本沢村誌』(昭32・12)に、 |
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A これらの発言を、地元民は喜び、 |
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昭和三十四年四月に「瀧乃山」碑を、小滝街道ぞいに建立した。 |
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篇額の文字を山形市長大久保伝蔵氏が、歌を川○△□氏が書き、 |
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建立者は「本沢地区広報委員会」であった。 以上「西行」 |
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旧道はすれ違う車もないくらいさびしい通りになっているので案内などもっとあればと塩を送る変酋長であった |
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なにやらあやしげな縄文遺跡? むむ、縄文人までいたとなると形勢不利かな |
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後日Y氏の話で 地区の子ども会か何かで体験学習用に作成したとのこと ヤレヤレひと安心 |
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B 山への道の入り口にまたしても「滝の山」の碑だ しかも新しいぞ ん〜手ごわい |
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平成十三年て書いてあるぞ |
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C だいぶ登って行くと立っている こっちは古い |
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2006/01/10変酋長のHPを遺跡発掘学者(Y氏)が発見してくれ電話をくれました。なんと中学、高校の同窓生 (その時は当ページはまだない) |
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驚くことにこの写真の遺跡発掘にも関わっており、発掘の中心人物の茨木さんの研究資料をくれました |
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前の写真は手前円形壇、後方方形壇なのだろうか この写真は水路の一部 |
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調査区から小滝街道方面を見るとずいぶん高い場所にあるのがわかる |
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話はY氏に戻って 彼は変酋長の親父と滝の山論争をした相手の錦三郎先生と長いこと隣の部屋で仕事をしていたのだそうであります もう二十年前の話 |
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さらに『明治の石橋』の案内板に登場する英語案内を全部書いたほどの英国かぶれで山英(山形英国)協会設立を図っている |
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古墳が専門とのことだが、考古学の専門家が身近にいたことによってこれからいろいろノウハウが増えそう |
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「どっか掘ってるとこあったら写真撮りに連れて行け」と言ったら「1時間くらいは掘って経験しなさい」とのこと |
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遺跡発掘者などが研究している間子供を遊ばせていた施設・・かな? |
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さらに上に行くと権現堂と言われる祠 |
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蝋燭や花がいっぱいあるが、由緒のある石碑なのだろう |
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小滝街道界隈にはここ以外にも研究者が興味を持つ場所がいろいろあるそうである |
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平場にはポツポツ石塔があり 壊れたものや小さいものは権現堂に集められている |
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車がけっこう停まっていたが人影はなし きのこ取りかハイキングコースがあるのかもとその時は思った |
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茨木氏は「いにしえの大寺」でここにあった大寺は9世紀前半に成立15世紀まで継続したと書いている |
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9世紀前半となるとアテルイから50年後くらいになるので桓武天皇や坂上田村麻呂が関係してたかも アテルイと言っても大家の住人は誰もわからなかったが |
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いろんな出土物から高度な技術で年代を研究するなんてなんとなくロマンの世界である たまには宝物にめぐり会ったりもするのでは |
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崩された山あたりには弥生時代の発掘物が見つかっていたいたらしい |
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E 本沢川 滝があったが撮れる場所なく写真なし |
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F 本沢川 釣迷人の時岩魚がいっぱいいるというの話を聞いているが・・ |
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