とある戦争遺跡
2004/11/06
クリックすると720ピクセルの写真
H先輩のシンポジウム(2000)資料より抜粋 |
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実際工事に使用された |
掘り出した岩で作られた土留め |
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第2部 戦争遺跡『○○山の地下壕』 |
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保存庫として使用されている穴も |
入り口がどんどん小さくなっている |
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○○山の東側と西側には、現在も各13箇所のトンネル跡が確認でき、そのうち半分は埋没し痕跡を残している。 |
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塞がった穴 |
34mの壕 |
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汽車で□□駅に送られてきた建設資材(釘、ガラス、鉄管、グリス缶等)は、馬車で運搬されて地域の物置等に保管され、7月には◇◇国民学校(現在の◇◇小学校)東体操場に数十台の弾丸検査機が持ち込まれ、グランドには旋盤のような小型の工作機械が持ち込まれた。 |
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天井まで1.7mくらいか |
本来は真っ暗 |
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2 建設作業従事者と労働の実態 |
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入り口を内から |
入り口を外から |
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地下壕の掘削作業は、コンプレッサーによる削岩機もー都使用されたが、ほとんどがツルハシやタガネ等による手掘りで行われ、掘削の進む穴もあれば、なかなか進展しない穴もあった。 |
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冬眠に入ったと思える蝙蝠 |
天井にぶら下がる突起ないので数は少ない |
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硬い岩には、導火線によるダイナマイト発破をかけ、落盤の危険性のある箇所には、松材による鳥居組をした。 |
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近郷から働きにきていた日本人は、ほとんどが朝8時から夕方5時までの労働時間(一部には、交替制での夜間作業もあった)で、当時、戦地や軍需工場に駆り出され、労働力が極端に不足し、かつ、働く場もなくなっていた中で、賃金が通常の倍であったと証言している。 |
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2004/11/22
アップしていいものか2週間悩みましたが地名等伏字にして載せちゃいました。危険な場所も多いので誰かがこのサイトを見て壕に入って生き埋めにでもなったら大変だと考えたのであります。だけど、新聞にも数回載せられているし、地域の方はみんな知っているとのことなので発表しちゃいました。もし探し出して入るような場合、自己責任でお願いします。 |