若木山防空壕
2005/08/15

クリックすると720ピクセルの写真

 今年撮っておかないとまた10年待たなければいけないと、東根市の市報など見ていましたが公開の広報は探せずあきらめていたところ15日の新聞に登場、なにがなんでもと雨の中神町へ。新聞によると5年毎公開しているとのことでした

東防空壕東口前 東防空壕東口前
排水溝 中から
東防空壕東から西への通路 広くて高い
おじさんの説明に熱心に耳を傾けている 若木山を南北に半分にして北は一般用の防空壕、南は軍事施設で
鉄条網で仕切られ軍事施設で何が行われていたかはまったく分らなかったそうである 市民が逃げ込んだのは北側の穴だが全部塞いでしまった
東防空壕西口 本日中継
東防空壕西隣の穴で資料展示

西防空壕西口 西防空壕東から西
西防空壕東口 西防空壕東口に
銃眼


2004/10/31 若木山公園


 若木山公園は神町駐屯地入り口にあります。「わかき」ではありません「おさなぎ」であります。防空壕があり現在は入口をロックしている話は聞いていましたが、わざわざ見に行ったことはありませんでした。H先輩がとある防空壕で脚光を浴びているのに影響を受けて戦争遺跡に興味が出てきて133m山頂まで登ってまいりました
若木神社は疱瘡(天然痘)の神様として知られているそうです 若木山の山頂にありましたが戦中の昭和17年
海軍の練習用飛行建設によって麓に移転したもよう 左写真の裏に古いのもある
天保の石碑 山頂への道
途中にある珍しい石碑
ネズミ男の碑か
ネズミ男の碑から北
山頂に見える鉄塔 ハイキングしている人あり
自衛隊方面 空港方面
マンションがありその向かいにある 物置付き
規模その他まだ資料にお目にかかったことないので不明 そのうちめぐり合うでしょう

2004/11/06 H先輩から五年に一回の防空壕公開の時の資料(2000)見せてもらいました

 予科練教育、特攻兵器「秋水」搭乗員の訓練の目的で東北地方に適地を探していた日本海軍が神町に航空隊の設置を決めたのは昭和十八年。昭和十九年二月工事開始、八月滑走路完成。
 二十年八月九日滑走路付近が爆撃され兵三十人ほど死亡。住民も三人が犠牲になった。
 若木山に掘られた防空壕は山のほぼ全周に渡る十六個所、北面のトンネル状に長い壕は百bほどあった。空襲で住民が避難し、一晩泊まった人も。
 壕の多くは素掘りのままで、戦後五十年余の間に、ほとんどが崩れて埋まり、西面の二つの壕も今春(2000)、市の予算で埋められた。
 米進駐軍が補強して火薬庫や燃料庫として使った壕も。最も大きいのは変形H型で、内部の一区画は高さ四b幅九・五b、奥行き十八bもあり、床周りなどに排水溝がつくられている。壕は普段閉鎖しているが、一辺二・五bの直方体型壕だけは、祭りの用具や資材などを保管する地域の倉庫として使っている。