本合海・清川

2006/05/05

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本合海
江戸時代から伝わる新庄の窯元・弥瓶窯で焼いた東山焼の芭蕉と曾良の陶像 地元本合海の団体「本合海エコロジー」が建立
「五月雨を集めて早し最上川」 向うは本合海大橋
内陸と庄内を結ぶ動脈として昭和9年(1934)に架けられ、現在の橋は昭和46年(1871)10月完成
最上川の川原に下りていくと
鳥居と桜
本合海由来 <金子兜太・皆子句碑>
郭公の声降りやまぬ地蔵鍋
 兜太
ひぐらしの網かぶりたる矢向楯
 皆子 
バックは矢向楯の下の崖
ここから船くだりしていた時代もあったような
清川
「芭蕉上陸之地」碑
清川関所跡の案内
芭蕉像の右に見える屋根は江戸時代からの井戸とのことだが撮影時はそのこと知らず
平成2年(1990年)建立の芭蕉像
清川小学校の旧校舎が一部残されているのが粋なはからい
五月雨をあつめて早し最上川
楸邨筆

で、本日は「清川八郎デー」とのこと(後述)で小学校では剣道大会が開催されており
車が路上までびっしり停められていたのである

芭蕉一行は、清川小学校の正門から北西方向に延びるこの道から羽黒山を目指した
町のあちこちに「清川八郎」の幟が見られた 清川の案内図
文久三年二月二十三日浪士組本部である京都壬生新徳寺において全員ニ百三十四名を招集しその前において尊皇攘夷の大儀について説く烈士 「大川周明」さんも登場
清川合戦の案内 あの有名な

清川合戦詳細

を清川八郎の親父(雷山)が記録していたのだ
正岡子規「はて知らずの記」より
漸くにして清川に達す。舟を捨てて陸に上る。河辺杉木立深うして良材に富む。此処戊辰戦争の故蹟なりと聞きて、

蜩(ひぐらし)の
 二十五年も昔かな
招魂碑
伊牟田尚平(薩摩藩士 西郷隆盛の密命を受け、江戸市中攪乱)
安積五郎(浪人、天誅組として挙兵) 
桜山五郎(浪士組「池田屋の変」に関り斬首 ) 
らは八郎が結成した『虎尾の会』のメンバーである
そしてその中の1人に幕臣、山岡鉄太郎も入っていたのである 清川八郎の父
雷山翁の碑
未解読 神社は工事
神社奥の院 なんかスーツ姿のおっさんが大勢いる
記念館の中では博士のような人が大勢を前に講釈している
神社で葬式でもないだろうにと怪訝に思い 受付のオバサンに
「なんかあるんですか」
と聞いたところ
「毎年5月5日
『清川八郎顕彰会』がとりおこなわれているんですよ。郷土史家の先生の話を聞いたり、宴会したりするんです」
ノコノコ出かけた変酋長はそこに出くわしたのであった
「むむっ!そうか、わしを肴に毎年宴会か」
桜舞う記念館