丸岡城・加藤清正墓所

2006/05/05

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 112号線を鶴岡から山形へ戻る時、鶴岡の町並みが隙間の多くなったあたり右手に「加藤清正の墓」の案内。気づくたびに「どうしてこんなとこに?虎退治の清正さんではないだろうな」などと思いながら通り過ぎていましたが、暇に任せて立ち寄ってしまいました。そして、加藤家も最上家と同様に改易させられた徳川幕府の犠牲者だったのは知っていましたが、その倅が山形に流されたことをはじめて知りました。改易の時に勝手に骨を持ち出すのはご法度でしたが、清正の倅はがんばってそれを行って流布地にも清正公の墓を造りお参りしていたんだそうです。
 案内を読むと加藤清正以外にも最上家や里見家のドサクサにも関りの深い場所ということでありました。
 天澤寺の参道の両側に十六羅漢がいました。尊者様たちの姿などそんじゃそこらじゃお目にかかれないと、腰を屈めて一体一体カメラにおさめたら腰が痛くなりましたが「損じゃった」などと言ったらばちがあたります。味のある尊者様たちのポーズをお楽しみください

虚籟綴錦織曼陀羅糸塚(きょらいつづれにしきおりまんだらいとづか)
お釈迦様の弟子で特に優れた代表的な16人の弟子を十六羅漢といいます。一体一体ゆっくりと眺めてゆくと、必ず自分の親や知っている人によく似たものが見つかると言われます。・・だそうです
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賓度羅跋羅駄闍(びんどらばらだーじゃ) 迦諾迦伐蹉(かなかばっさ) 迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ) 蘇頻陀(すびんだ)
5 6 7 8
諾距羅(なこら) 跋陀羅(ばだら) 迦哩迦(かりか) 伐闍羅弗多羅(ばじゃらぶたら)
9 10 11 12
戎博迦(じゅばか) 半託迦(はんたか) 羅怙羅(らごら) 那伽犀那(ながせな)
13 14 15 16
因掲陀(いんがだ) 伐那婆斯(ばなばす) 阿氏多(あじた) 注荼半諾迦(ちゅだはんたか)

時はおりしもゴールデンウイーク、天澤寺から南方面の山際の道路を走っていると黄金村役場がありました。藤沢周平さんの生誕の地なのであります。周平さんの親父がこの建物で出生届を出したり、周平自身もここに出入りしたことを感慨深く思う人もいるだろうな などと考えも別にしない(・・・んだったら書くな!)んだけど、味のある建物がここにも残っておりました。藤沢周平さんの本名は小菅留治(こすげ とめじ)