112号線を鶴岡から山形へ戻る時、鶴岡の町並みが隙間の多くなったあたり右手に「加藤清正の墓」の案内。気づくたびに「どうしてこんなとこに?虎退治の清正さんではないだろうな」などと思いながら通り過ぎていましたが、暇に任せて立ち寄ってしまいました。そして、加藤家も最上家と同様に改易させられた徳川幕府の犠牲者だったのは知っていましたが、その倅が山形に流されたことをはじめて知りました。改易の時に勝手に骨を持ち出すのはご法度でしたが、清正の倅はがんばってそれを行って流布地にも清正公の墓を造りお参りしていたんだそうです。
案内を読むと加藤清正以外にも最上家や里見家のドサクサにも関りの深い場所ということでありました。
天澤寺の参道の両側に十六羅漢がいました。尊者様たちの姿などそんじゃそこらじゃお目にかかれないと、腰を屈めて一体一体カメラにおさめたら腰が痛くなりましたが「損じゃった」などと言ったらばちがあたります。味のある尊者様たちのポーズをお楽しみください
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