水分神社遺跡調査

2006/06/17

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「『滝の山遺跡』の研究者、茨木さんが吉原で古墳の調査しているんだ。行ってみる?」とのTELを山形のインディ・ジョーンズ、吉○先生からもらい「行く行く」と同行。しばし調査の邪魔をしてまいりました。

水分神社駐車場予定地
埋蔵文化財試掘調査
吉原財産管理維持会
水分神社責任総代

「水分」は「みくまり」
「古墳ではないかと調査をしてるんだ。神社の高まりから、前方後方墳か、または方墳かじゃないかとと思われる。もし古墳なら山形でも有数のものじゃあないかな」
「古墳の周壕ではないかと調査していて、濠の痕跡を断面に見つけられないか掘ってるんだ。かなりそれらしい・・・」 「核心部らしいとこはより深く掘って、がんばって調べるんだ」
鎌倉時代、源頼朝の重臣安達平九郎が、当地方を鎮守した頃、現在地の西方の5丁余の地に館を築き、鎮守として鎌倉八幡を分祀したものといわれる。 「この屋敷には環濠があり中世からのたたずまいを残しているんだ」
「その木のむこうが濠の跡なんだ。濠が神社の周りを囲んでいたりしたら、更に古墳くさいということになる」 「ここを掘って神社の山の土盛りの状態を研究してるんだ」
「色の薄い土と濃い土が層になっているのがわかるだろう。古墳の土盛りに特徴的な断面なんだ。まあ同様のものは中世の塚などにもあるんだけど」
「これでなにか出土すれば決め手になるんだがなあ。あっちやこっち、もっといろんな場所を掘ってみなければならない」

「そうだ!やれやれ!」
「9世紀くらいの陶器の底だ。こういったのが出てくるとムラムラ闘志が湧いてくる」 「福一満虚空蔵菩薩」

白鷹山の虚空蔵菩薩を分詞したのだそうだ
この碑はごく最近近くか
らここに移されたとのこと