蔵王成沢の遺跡群



ひびが入ったので使用されなかったものだろうといわれているそうです

ここからはまったくのいいかげんなフィクション

「仮説・空清水の残骸石は谷地中の石鳥居の上部分だったのだ!」

天童に「谷地中の石鳥居」があります。笠木、島木、貫(鳥居の上の部分)などは無く柱のみが残されています。「成沢の鳥居」が1109に作成されたのに対して谷地中のは鎌倉時代初期のものとされているのでちょうど100年くらいの時代の開きがあるようです。まだ北条時頼の三百坊の破却1251よりは大分前だったとすると、この石切り場も繁栄しており、水晶山の寺院からの注文で「谷地中の石鳥居」の笠木、島木部分を作っていたのではないでしょうか? ・・・なんの根拠も資料もありませんが互いに部品の欠落した2つの半製品があるだけのこじつけです。だいたいにおいて「谷地中の石鳥居」の柱だけが残っているっていうのはなんかおかしいと思いません?上の部分だけを壊して持って行っちゃうくらいのパワーがあるんなら、柱も持って行くんではないかと思えるし、破壊が目的なら柱だって壊すでしょうし、これはそもそも鳥居の工事が上部分の無い状態まで進んで、なんらかの事情で中断されそのままになってしまったと考えた方が理屈のような気がします。 ・・・と開き直り、むりやり同時代に放置された鳥居の上部にあたるこの石と結び付けてしまうわけであります。まあ距離があるといっても大きい大八車作れば運べるでしょうしピラミッドや万里の長城を考えればどうってことないと思えます ・・・などとまとめてしまいます
・・・などというのはいかが? これも「イカガなものか」って怒られそう