開高健記念館訪問記

(もぐらもち 2008,4,10)


2008/04/21

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茅ヶ崎市 にある『開高健記念館』を、2008,3,8()に訪れた。出張の帰路に何とか時間を作ってようやく訪問。一度訪れてみたいという長年の願いは、ようやくかなえられました。

開高健記念館 : 開高さん一家が他界されて後に、遺族が自宅を 茅ヶ崎市 に寄付して記念館とし、開高健記念会が運営。金・土・日のみ開館。入場無料。 HP   http://kaiko.jp/kinenkan/

1  ラチエン通り

2   開高記念館の門

1  ラチエン通り  南北に走る『ラチエン通り』(サザン・桑田の歌にありますな。通称として使われていたが、2001,2に、 茅ヶ崎市 が正式名称として認定) 。右手の車の後ろの小道を右に行くと記念館、即ち開高さんの居宅。 2   開高記念館の門  右の表札には、開高健・牧羊子(奥様のペンネーム)。いかにも湘南という、瀟洒な佇まいでした。因みに、牧先生は、詩人にして料理の達人。料理随筆は、的確かつ、おもろいでーっ。

3  作家の箴言の碑

4  記念館入り口

3  作家の箴言の碑   玄関近くにある、直筆の箴言の碑:「入って来て人生と叫び、出て行って死と叫ぶ」。開高さんは、詩人または天性のコピーライターかもしれない。彼の武器は、深くて鋭い言葉であった。 4  記念館入り口   右に小生も写っているが、作家と結構似ていることもあって、勿論カット。

5  展示室

6  『出張の復命書』

5  展示室   実に良き雰囲気。引き出しには各種資料が展示されている。とても興味深い。案内役の男性も受付の女性も、とても親切であった。 6  『出張の復命書』    作家・開高健が寿屋(今のサントリー)の社員として宣伝業務に携わっていた頃の『出張の復命書』。とても興味深いものでした。仕事はコピーライターだけではなく、雑誌(洋酒天国)の編集から何からいろいろと。

7 ベトナム従軍関係

8  ジッポ片面

7 ベトナム従軍関係    ベトナム戦争を取材した際の品々。日の丸には、万が一に備えてベトナム語で『記者である』ということが書かれている。右下のジッポは、作家が生涯手放さなかったもの。8,9参照。




8  ジッポ片面  記念館の文から : 「開高さんは、65214日、ベトナムでの従軍取材中に200名の部隊がベトコンに包囲急襲され、僅か17名が生還するとの過酷な体験をしました。開高さんは、サイゴンの路地裏にあった彫り物屋でジッポに1/17と刻み、さらに弾除けの呪文を刻み込んでもらって、以後持ち歩きました。開高健メモリアルジッポは、遺された愛用のジッポをそのままに複製したものです。」

9  ジッポもう片面

11  作家の部屋

9  ジッポもう片面  記念館で販売されているジッポ。もちろん買ってきたもの。『1/17  D-ZONE  Feb. 14, 1965』とある。1/17は、生還した17名の一人の意。D-ZONEは、従軍した危険地帯のこと。ジッポはごく普通のタイプです。しかし、蓋を開けてチンと音をたてると、作家が側にいるような気持にふとなることがありまする。8,000円也。

11  作家の部屋  生前のままにしてある由。右手には、釣りの道具などがあった。世界中を釣り歩いた男。『男が人生で熱中できるのは危険と遊びだ。』奥地での釣りは、危険な遊び?かも!! 座って書く方は、すぐに寝られるし、飲んで潰れても安心・・・なーんちゃって。

 

12  東屋風の建物と庭

12  東屋風の建物と庭  右手に進むと、作家が「哲学者の小径」と名づけた細い道が続く。