山寺磐司祭(長瀞猪子踊・高擶聖霊菩提獅子踊)


2014/08/03

クリックすると大きい写真


8年ぶりの山寺(こっち側のスタンダード山寺)
あの『ご開帳』もなんか来る気にならなかった この日は朝8時ころに『磐司祭』のことをK先生から聞き、おりおしも熱暑サウナの日曜日、祭見物に来てみた 観光客はこの暑さにしては多い
会場に着くと、K館長(K先生とは別者)がこっちを発見してくれ手招き、K先生はなんか説明している 文教大のK先生(前述K二人とはこれまた別人、Kばかりだ)の説明 山寺夜行念仏の習俗は、8月6日夜から7日朝にかけて、山形市の立石寺で高擶夜行念仏講、山寺夜行念仏保存会の人たちによって行われる行事である。(案内HP) 長瀞猪子踊の入場だ
ご本尊のレプリカ? 長瀞の土地は、かつて山寺立石寺を開山した慈覚大師(円仁)によって開かれた肥沃なところだという伝説があります。(パンフから) シシ踊りも慈覚大師開山の折りに先導役をはたした猪や鹿など動物の喜びの姿を表したものとされています。(パンフから) シシを「猪子」と表すのは、そのような由来伝承にちなむもののようです。(パンフから)
長源寺で十念を授かり、南無阿弥陀仏の名号を受け、シシのカシラに精霊を入れてから踊り始めるのが習わしです。(パンフから) 旧暦7月7日には山寺で死者供養のための踊りを奉納してきました。(パンフから) 踊りはシシ8頭の構成ですが、そのほかに鉦打ち、笛、太鼓、ササラ、歌いなど数人のお囃子がつきます。(パンフから) 演目は12を数えます。(パンフから)
小保方方式説明は終わり
かなりの運動量で、もんぺの中、多分汗でぐっちょぐちょ
さて、磐司祭とはなにか?
バンジー祭ならわかるが、それとはちがう
慈覚大師(円仁さん)が、山寺や宮城県の秋保あたりを開発した時の、地元の協力者の名前が『磐司磐三郎』なのです 一人の名前という説や、磐次郎、磐三郎の兄弟だったという説、いろいろあるようです とにかく、現在は小国町などに残るマタギの先祖なのです
われらがタイチキャプテンの家の伝統芸能『高擶聖霊菩提獅子踊』が始まる
天保12年(1841)に中山町土橋のシシ踊りを高擶住民が習い受け伝承されてきたものといいます。(パンフから)
途中幾度も中断を繰り返してきましたが、平成10年に再復興をとげて現在に至っています。(パンフから) 「聖霊菩提」の名称こそ、シシ踊りという芸能が死者供養・先祖供養を目的として踊られることを端的に物語っています。(パンフから) 旧暦7月7日には山寺立石寺に奉納踊りをしてきました。踊りはシシ7頭の構成です。そのほかに笛、太鼓、歌いなどがつきます。(パンフから)
演目は11を数えます。(パンフから) なかでも「かかす(かかし)」の演目は、踊りの庭に立てかけられた小型のワラ人形を近づいたシシが瞬間的に倒す所作が注目されます(パンフから) 説明終わり タイチキャプテンへ「きみのとこの伝統芸能見物してきた」
タイチ「小学校では、それを伝承するため『子ども獅子踊』っていうのを全校でやっています」
こちらは長瀞に較べると、もんぺじゃない袴がゆったりしており、上着もポリプロ素材みたいで、まあ快適?そう(あくまで比較論) タイチは体型も獅子みたいだし、顔もちょうど先日、目の上を10針も縫って獅子っぽくなっているので、被り物をしないで、獅子が出来る
伝統文化の伝承者となって、今後の人生を生きていくのも悪くはない
などと、勝手なことを言っているオッサンでした
大勢のカメラマンが撮影していたので、誰かのブログやらフェースブックに筆者が写っているかも
山寺磐司祭レポート完了