中山町落合「戊辰戦跡碑」


2018/09/26

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明治維新の時、幕府軍、庄内藩と官軍?、山形藩が中山町で戦闘をしたという話は、知ってはいたが、その内容は そして、このような「戊辰戦跡碑」が、存在することも、つい最近まで、知らなかった。 庄内戊辰戦争春の陣(しょうないぼしんせんそうはるのじん)は、戊辰戦争時、庄内藩征討を命じられた山形藩、久保田藩らが、庄内藩と交戦した戦闘のことである。秋田戦争の端緒になった。
新政府軍の庄内侵攻計画が閏4月3日から5日に延期されたことで、3日夜半左沢(大江町)を発した庄内側民兵隊が最上川を下り、4日払暁落合を急襲した。
この奇襲で山形軍は隊長大久保伝平、司令士の赤星守人以下7名が戦死・5名が負傷、援軍もなく山形城下に潰走した。 明治維新で庄内藩は強かったし、山形や秋田の各地に出兵して、薩長の手先になった天童藩や新庄藩をコテンパにやっつけた。