天童市蔵増 長梶塚勇之進戦死の碑


2019/12/01

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梶塚勇之進正繁 漆山陣屋(館林藩)大砲隊長で、相撲の関取のような大男だった 官軍の命令を受け最上川沿い蔵増に出兵。閏4月4日、庄内軍の攻撃により被弾し戦死。41才。徴兵した農民も数人死傷 戊辰戦争では現在の蔵増や高野辺地区の多くの家が庄内軍による焼き討ちに合い、蔵増の歴史をたどる多くの資料が焼失した。 最後の文章が、150年経っても、庄内藩に対する恨みがこもっています。荘内銀行営業マンが、天童の老人から「なんで天童を焼け野原にしたんだ!」と、怒られるのも理解できるかも・・・
庄内軍は、蔵増ばかりでなく、天童への、いろんな入り口に攻め入り、閏4月4日のうちに、天童城下に達し、天童を焼け野原にしたのでありました。 いろいろな資料では、天童藩の家老、吉田大八が薩長、新政府軍に、いろいろ庄内藩の悪口をふれ回って、新政府軍が清川口に攻めてきたということで「吉田大八憎し」のための庄内藩の行動だったとか それは誤解で、吉田大八は平和を愛する武士で、他藩を陥れたりはしていない。歯車が狂ったというか、ボタンのかけちがいが多々、発生して、結果、最悪になっちゃった・・・等など いろいろあるようであります
漆山の浄土院は館林藩、秋元家の菩提寺なのですが、ここに、蔵増で戦死した梶塚勇之進正繁のお墓があります。 梶塚の墓と並んでいるのは森谷留八郎の墓