岡山城 

2019/12/14
 

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「岡山城を見ます」ツアーコンダクターから指示されて、来たのですが、姫路城に比べるとかなりマイナー そんな城あったのか?誰が築城したのか?まったく存じ上げていません 宇喜多秀家が築城したのだが、この宇喜多さん自体、大大名ながら、かなりマイナーな存在 宇喜多秀家の父、宇喜多直家は、斎藤道三、松永久秀とともに戦国三大下克上武将と、恐れられていました。
キャッチフレーズは「敵はとりあえず暗殺」だったそうで、われらが最上義光さまとも共通点があるような・・・ 直家の子、宇喜多秀家は、親父の財産を受け継いだ、おぼっちゃまタイプの殿様 NHK大河ドラマでは脇役として何回か登場しますが、どうしても影が薄い感じでありました 関が原の戦いの後、この城の所有者は宇喜多秀家から小早川秀秋に代わります
しかし、秀秋は2年後の慶長7年(1602年)10月に岡山で急死し、小早川家は断絶した。 秀秋のこの早世に関しては、彼の裏切りによって討ち死した大谷吉継の祟りによるものとする逸話も残されているが、 実際に残されている病歴からは酒色(アルコール依存症)による内臓疾患が死因として最有力となっているとのこと 若くして亡くなった小早川秀秋にくらべ、宇喜多秀家は、関が原の戦いの後、徳川家康に捕らえられ、八丈島に流罪になって83歳まで生きました。
「お城は左右対称じゃないんです。屋根の水を流す部分が、左右でかなり形が違っているのです」10cmもあろうかという資料を片手に
城郭の構造から、宇喜田や小早川の歴史絵巻まで、説明してくださったボランティアガイドのおじさんです。 宇喜田の殿様でござそうろう
橋の向こうが岡山後楽園という日本三大庭園の一つ。小早川の後の池田の殿様が造園した
これは、現存する昔からある月見櫓とのこと エレベーターで最上階まで上って、あとは下りだけなので、姫路城より格段に体力使いませんでした。
「たばこいかがですか」「スワン!