千歳公園・千歳山公園の石碑

  


 最初に物部守屋碑のことを書いたのは、仏教伝来を語るためでもなく、守屋その人を語るためでもない。
 戦後五十年を過ぎた今、その名誉の復権を考えるべき一人の将軍がいたのではないかということを述べるためである。その一人の将軍とは、第十四方面軍司令官山下奉文である。
 山下は、昭和二十年九月三日に、米軍に降伏調印し、十月、戦争犯罪の軍事裁判に附され、十二月八日、絞首刑の判決を受けた。そして翌二十一年二月二十三日、午後三時五分にロスパニオスにおいて絞首刑に処せられた。記録はそうなっており、われわれは捕虜収容所において洩れ聞いたが、これはマッカーサーの報復心がさせたリンチであったと思う。 山下がもし、国際軍事裁判にかけられていたとしたら、無罪か短い有期刑であったであろう。その事をマッカーサーはドイツの国際裁判などの例から感知していた。それで極東軍事裁判所が開所される前に処断してしまったのである。極刑の絞首刑――それもマンゴーの木に吊るすという残忍なやり方で処刑してしまったのである。
 

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