水野三郎右衛門元宣

  


1866年水野忠精の隠居により家督を相続したのがその長男、水野忠弘。1868戊辰戦争時は、ほとんど京都にいて、山形のことは、家老の水野元宣以下にまかせっぱなしでしたが、忠弘様がいたところで、最強軍団、庄内藩を相手にして太刀打ちは出来ず、同じ歴史が繰り返されただけに過ぎないと思われますが・・・?!

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