浜田薬師堂


2020/06/14(日)

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立っている案内板の文章を引用します。 浜田薬師堂由緒 (薬師瑠璃光如来)  病を救い、寿命を延し、迷いをなおす医王仏と云われる薬師瑠璃光如来が本尊で、伝鋭によるとこの他を支配していた部落名の「浜田」を姓とした豪族がおって、一門の安泰と部落民の幸福を祈願して領地の一角に建立したと云われています。  当薬師を中心として南に山形薬師、北に風間薬師がほぼ一直線上、しかも約ニキロの等間隔にあるのもなにか意味ありげに思われ、昔は「出羽三薬師」 と云われたそうです。
 宝暦九年十二月(一七五九年)時の役所からの求めで大野目村組頭、庄屋連名で提出した覚書の控えがあり、それには山形城主、最上義光時代「拾弐石五升」の御朱印を賜っていたが、 最上家が改易になり続いて城主になった鳥井左京守二十四万石時代元和年間に取り上げられたとあります。  この堂の北、約二百米一帯の地名が 「元屋敷」で通称 館、楯、と呼んでいました。ここが豪族の居住跡らしく畑の肥上下あたりより無数の土幕と破片が出土しており、 専門家の話しでは鎌倉時代か、少し逆上る頃の物らしいとのことであります。
 由緒あるこの堂も大正七年十二月十七日別棟のこもり堂よりの出火で本堂共全焼、翌八年再建したのが現堂であります。  由緒あるこの堂も大正七年十二月十七日別棟のこもり堂よりの出火で本堂共全焼、翌八年再建したのが現堂であります。
 現尊像は長町の仏師佐藤大助氏の作です。