山形大学工学部 白楊寮


2021/09/19(日)

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林泉寺を出て北上すると、学生のためのりっぱなアパート(手前の茶色い建物)が建っていて、その南側に、50年前くらいに見慣れた山形大学工学部の寮『白楊寮』が姿を現しました。 入寮した時は、まあ新しく、築十年くらいかなと思っていましたので、現在、築六十年くらいになるのでしょうが、雑草がぼうぼうで、学生が住んでいる気配は、まったくありません。 手前が寮の入口部分の平屋で、下駄箱があったはずです。 『山形大学工学部 人力飛行機研究会 Craft・Pal』の門標があります。蛍光灯が点いていて、なにかテレビかラジオの音が聞こえるような聞こえないような
「こんにちわ〜!」と声をかけようかとも思いましたが、不審なオッサンと思われるんと恥ずかしいので、保留 入口部分が、このように物置になっているのだから、もはや寮としては機能していないものと思えました。建物を見れただけでも、もうけものなので、戻ってちょっと歴史など研究してから再訪問しようかななどとも考えました。 そして、立ち去ろうとした時、犬を散歩させているオジさんが門の前を通りかかりました。 オジサン「二年前までは使かっていたよ。米坂線の南米沢駅の南側に新しい建物が出来て、学生は移動したんだ。こうなると、これは廃墟になっちゃってるので、早いとこ解体しなければいけないんだろうけどね」
寮の北側の1Fのでっぱりは、お風呂と食堂でした。 工学部と近いようで、直接、敷地内の道路はなくて、都度、大通りに出てから、お寺の前を通り、学校へ入るという遠回りをしなくてはいけませんでした。 これが、そのお寺ですが、上杉憲政のお寺と書いてあるので、学生時代は、ここが『林泉寺』だとばかり、思っていました。そのころは歴史になどほとんど興味はなく、上杉謙信も上杉憲政も、同じようなものだったのです。 この後ろの線路の向こうに、新しい『白楊寮』があるはずの南米沢駅。この時は、その場所がわからなくて写真を撮りませんでした。