直江兼続が創建した法泉寺庭園

  


雲井龍雄詩碑『龍雄は幕末・維新期の米沢藩士で、憂国の士。漢詩人としても、才気あり熱血たぎる詩で著名です。旧薩摩藩士が牛耳る明治新政府の悪政を非難し、東京で不平士族を集めましたが、政府を倒す陰謀を企てたとして捕えられ、明治3年(1870)12月、27歳で刑死しました。釈大俊は龍雄の親友の僧で、事の発覚以前、郷里の尾張で同志を募るため、明治3年2月東京を出発、東海道を下りました。出発に際し龍雄が餞けに贈ったのがこの「釈大俊師を送る」の詩です。「生きては当に雄図四海を蓋うべく、死しては当に芳声千祀に伝うべし」に始まり、全篇、大俊の行を励ます詩句で満ちています。揮毫者上泉徳弥は米沢出身の提督です。』

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