直江兼続が創建した法泉寺庭園

  


先聖殿(興譲館聖堂)『上杉鷹山公は、天明5年(1785)先君上杉綱憲公が建てた学館を再興し、教学の刷新を図りました。恩師細井平洲は、この新たな米沢藩の藩黌を「興譲館」と命名しました。綱憲公(元禄10年)以来、学館の聖堂(孔子廟)を「感麟殿」と称してきましたが、鷹山公は特に崇敬を捧げられ、この聖堂を「先聖殿」と命名し、公自ら扁額を揮毫して奉納されました。この「先聖殿」は、元は興譲館の敷地内にありましたが、戦後の政教分離政策により、連合国軍総司令部の命令であやうく解体撤去させられるところを法泉寺20世克堂禪師のはからいで難を逃れ、当時の生徒たちの手によりこの地へコロを使って引いてきたものであります。

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