清川八郎の墓地 歓喜寺


2021/11/20

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庄内町、旧立川町の歓喜寺、曹洞宗のお寺 羽越西線の線路の向こう側に北楯大堰が流れ、堰沿いにも道路はあるが、GoogleMapで駐車スペース確認できなかったので、町の中から行く 清川八郎の墓や戊辰戦役で亡くなった庄内藩兵士の墓があるのは知っていたが、初めての訪問 世界灌漑遺産の北楯大堰
『清川八郎の墓』の案内
清川八郎は芸名で、実名は斎藤。斎藤家の墓が別枠で囲まれています 向かって左から2つめが清川八郎様のお墓のようです。左端が妻の蓮様?
戊辰之役庄内藩陣没者顕彰碑 齋藤蔵右衛門、和田助右衛門の墓
忠臣討死四士之墓
明治元年4月24日清河口の戦いで戦死した庄内藩水野弥兵衛組 中嶋仙太夫政行、加賀山林蔵安之、白井大三郎重之、紀太小助惟孝の墓。
戊辰役英魂碑 勇者討死四人之墓
明治元年4月24日清河口の戦いで戦死した庄内藩 安野五郎助政直(平林甚五兵衛組)、齋藤順太長直(朝比奈長十郎組) 鈴木悌助重之(田中弥太郎組夫卒)、平山多弥太博正[東多弥太博正](夫卒)の墓
『天保飢饉義民十三名之慰霊碑』
藤沢周平作『義民が駆ける』は1840年(天保11年)の天保国替騒動(三方領地替え)に反対活動を行った農民たちを義民と呼んでいるが、歓喜寺の義民はそれとは別な話である
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今を去る百四十年前天保年間打ち続く凶作に餓死者の続出を救済せんとして・・・ 
歓喜寺レポート了