酒田市新屋敷(旧松山町)の町並み  
   
 
川俣茂七郎という方は、松山藩きっての幕末の志士で、松山藩主の侍医の家に生まれましたが、早くから尊王攘夷の思想を抱き、文久3年(1863)25歳の時に江戸藩邸を脱して、上州赤城山麓で挙兵を企てますが失敗。その後、水戸勤王党と通じ、元治元年(1864)筑波山に挙兵し、幕府軍と戦いますが敗北。茨城群大橋村にて自刃。享年26歳。大正9年(1920)には靖国神社に合祀されています