米沢市 龍師火帝(りょうしかてい)の碑


2025/04/26

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米沢市の南部、李山にある『龍師火帝の碑』を訪問しました。ちょうどゴールデンウイークの開始で、桜が満開のベストの日です。 『龍師火帝の碑』という、いかにもカメラマン(私)が好きそうな名前のものなのですが、最近までその存在を知りませんでした。 だいぶ前、廃校を撮っていた時、李山分校跡、赤崩分校跡などに来ていましたが、この碑はノーマークでした。 以下『文化遺産オンライン』から引用
龍師火帝の碑は、上杉家の重臣直江兼続が、猿尾堰を構築した際に設置した大石の一つと伝えられている。
兼続は、米沢城下の建設にともない、用水・治水のため谷地河原堤防(直江石堤)や御入水堰、猿尾堰などを築いた。 猿尾堰は、李山から最上川の水を堰揚げして南原の用水や米沢城三の丸西側の堀でもあった掘立川に導水する重要な役割を担っていた。 この猿尾堰を作る際に、堰を押さえるために大石を設置したとされる。 碑石はもともと河川に転落していたものを、昭和54年(1979)に引き上げられ、平成12年(2000)に現在地に移転して設置したものである。
平成20年(2008)には、猿尾堰を含む直江兼続治水利水施設群が土木学会推奨土木遺産に認定された。 以上引用終わり 『堰』が、まあ弊サイトでよく取り上げている題材の一つなのですが、山形は『山形五堰』、寒河江は寒河江川の『二の堰』、割りに最近、世界かんがい施設遺産に登録された庄内町の『北楯大堰』、長井市にも多くあります。 米沢はどうなんだと調べてみたら、やはり、米沢といえば石田光成の盟友で最上義光の宿敵、直江兼続なのですが、この上杉家の家老様が関係した多くの水利施設があり、その中に多くの堰も含まれることを知りました。 直江石堤などは、ずいぶん前に撮影していましたが、その時は堰まではノーマークでした。
ちょっとそういうことについて下調べをしてから、上杉神社から山形大学工学部を通過し、米沢猪苗代線(県道2号線)を白布高湯方面に走ると『龍師火帝の碑』の案内板が2、3目につきます。 途中で白布温泉方面と大平温泉方面の分岐点がありますので、左方向(大平)に進みますと、米沢市立南原小学校にぶっつかリます。 李山の集落に入って、さらにちょっと南下すると、左手に『龍師火帝の碑』の案内板があり、左折する道路があります。 4月上旬にも訪問し、その道路に進入しましたが、左への緩いカーブを曲がったあたりで、雪のため道路は通行できませんでした。
『龍師火帝の碑』のサイトを多少見ましたが、この大石の右のほうに『龍師火帝』という文字が彫られていて、あきらかにそれと分る写真もあり、その陰影を黒くして、読めるようにしたものもあります。 私にも読めるものか、じっくり見ましたが、わかりません。 その文字が読める写真は、石が昭和54年(1979)に引き上げられたとあるので、それから、まだ50年経っていませんので、なんらかの技術を駆使して特殊撮影をしたのでは・・・?と推測します。もしかして、拓本・・・? まあそれはさておいても、直江兼続の没年が1620年なので、作成されてから約400年ということになり、文字が風化のため、ほぼ読めないとしても、すばらしい文化遺産に変わりはなく、山形県や最上川のシンボルになり得るものと思います。
この日のような桜満開のすばらしい日に、1時間の観覧者が二人だけというのは、どう考えても、宣伝不足としか思えません。 米沢市の学芸員の先生方、もっとがんばって、取り付け道路を太くしてください。 かなり大きいのですが、長井市、洞雲寺の大石 長さ12.60メートル、高さ6.50メートル、幅6.50メートに較べると全然小さいです。 現場に行った証拠写真
龍師火帝の碑の手前の猿尾堰、掘立川にかかる橋 きれいに整備されています。 けっこう広い駐車場があります。
名残惜しいのですが、帰路になります。 2つの川になっています。 李山?集落からの道路と掘立川が交差する場所にある猿尾堰橋の案内板は雪のため倒れていました。 猿尾堰橋から南方面
猿尾堰橋から北方面 左の太い方が掘立川で、右の高く細い方が猿尾堰なのではないかと思いますが・・・ 猿尾堰橋から北側方面
あっちの集落から、龍師火帝の碑に入ってきました。 猿尾堰が南に分岐して、田畑の農業用水になっていると思えます・・・
猿尾堰橋の周りが、自動車のすれ違える貴重な場所になり、ここから集落まではけっこう細い道です。
倒れているのを立てましたが、風ですぐに倒れるでしょう。 この辺までくると北への道路と交差するので、退避場所があります。 大平温泉へ南下する道路の左手にある『龍師火帝の碑』への入口案内板
けっこう広く見えますが、実はかなり狭いので、進入するのにちょっと勇気がいります。
ここからは碑からは離れていきます
大山桜かな?住宅も風情があります 啓翁桜の林
向こうが大平温泉で、上流になる最上川(松川) 下流方面 左、大平温泉方面。一回温泉まで行きましたが、七曲の急勾配の上り坂で、途中エンジンのオーバーヒートの車と出会ったりして、温泉の方に連絡してあげたりしたのを思い出しました。 したがって、最上川源流の『火焔の滝』は見たいのですが、温泉まで行くのは、車に負担をかけすぎるので、行きません。
2005年9月18日、大平温泉の脇から『火焔(ひのほえ)の滝』を見に行きましたが、その登山道脇の露天風呂に女性の入浴者がいて、通報される危険があり、引き換えしたのでした。 龍師火帝の碑よりちょっと下流の掘立川。このところ良く利用する米沢サッカーフィールドの脇を流れている川がこの『ほったて川』なのです。 『ほったて小屋』という言葉は、小さいときから、よく耳にしていましたが、『ほったて川』は最近まで聞いたことがありませんでした。 ということで『龍師火帝の碑』はとりあえず終了