山辺町さがみのみち(白山神社)


2026/06/14(日)

クリックすると大きい写真


山辺町の西端の道路沿いに、写真のような木造の建物が多かったのを思い出して、行ってみました。 10年以上前、チャリで『さがみのみち』は、探索したつもりですが、なにぶんチャリは、馬力を要するとこに行くのは厳しくて、今回の白山神社などはパスしていました。 山辺町寝際中央公民館から山形方面に南下すると『白山神社』への案内がありますので、西へ山を登っていきます。 『白山神社』の案内石
写真左端に赤い鳥居が見えますが、あそこが神社のようです。
白山神社

創建の由来を伝える近世文文書も多いようです
が、大同二年(八〇七)加賀の国の浪士源剛
久(ー説に藤原剛久)と云う者、加賀の白山
神社の分霊を奉持し、諸国遍歴の途中、この
地に来りて山上に庵を建て白山寺と称したと
伝えられます。
江戸時代の中期、寛延年代と
か、宝暦年中に至って山上より現在地に遷座し
たと云われますが、それより僅か前の延享年
間(一七四五)に書かれた根際村古地図にす
でに現在地に比定される虜に「白山大権現」
が明示されています。
 昔から村の鎮守様とし、明治以後終戦まで
村社として祀られ(旧三月十九日)祭神は伊
弉諾尊・伊弉冊尊・菊理姫尊の三神です。

               相模の里よくする会
そして、その場所に写真のようにカメラマン好みの戦争遺物?砲弾が飾ってあります。 白山神社に奉納されている「砲弾」は、日清戦争(1894年〜1895年)や日露戦争(1904年〜1905年)の際に戦利品として全国の寺社に下付されたものです。 火薬は抜かれており、当時は忠魂碑や戦勝記念のモニュメントとして境内に設置されることが一般的でした。日本全国には約3,000社、山形県や相模地域 をはじめ各所にある白山神社 や寺院において、今でも当時の弾丸が奉納物としてひっそりと残されているケースがあります。 とのことですが、この場所の砲弾が日清戦争のものか日露戦争のものかは、不明だし、あまり、いわれは分っていないような回答でした。
 
神社の本殿から、山辺、山形方面 案内板の手前の窯のような鍋のようなものも調べてみましたが、祭事、神事に使用したものではないかとの回答でした。
時代を感じさせる古い橋です。『日向橋』らしいです。
このあたりから山形市の常明寺あたりになります。
村木沢まで南下して『さいべい』
以上、山辺町、山形市の西側のちょっと古い感じの木の建物でした