山形市 高原古墳


2026/07/05(日)

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2006/03/05の写真がアップされているので、確かに20年前に訪問している高原古墳 子供だったか甥っ子だったかの古墳の研究に見に来て、その時はなんの問題も無く、すんなり古墳を発見して、調査?して帰ってきた記憶があります その後も、たまに見ようかと訪問を試みましたが、まあ探すのに情熱を持たずに行ったせいか、どうしても、その場所にたどり着くことが出来ないでいました 最初の時はメインの道路から古墳の案内標識がすぐに発見できて、そのすぐ近くに古墳は見つかったと思い込んでいたので、それが敗因だったようです
20年の間に、高原の住宅団地も、かなり拡充されて、道路も当時メインだったものがサブになってしまっていたようです 最初、『高原口』のバス停から東に入って行きましたが、自動車学校のような場所にぶっつかって、一回引き返し、バス停の200mくらい南から東に進みました その東進道路は写真のようになっていて、メイン道路は直進で、赤屋い根の工場?へ左折する道はノーマーク しかし、目的の古墳の標識は、そっちのノーマーク道路にあったのであります
山際を進むと、左に鈴川地区でよく見かける文化財の案内柱発見 左の立っている石碑は庚申塔の石碑、手前の米俵のような石造物は、古墳の主の弥生人の豪族が手彫りで作成した百俵のオブジェ?・・・ってことがあったら・・・なんか書いてあるでしょうがなにもなし 農業用水の堰も整備されています
目的物はもうちょっと先にあるようです 数多くの石碑が参拝道路に置かれています 県指定史跡 高原古墳
昭和二十七年四月一日指定

 山形市高原町地内のこの古墳は、昭和二十四
年に発見されました。当時、鈴川郷土史研究会
によって調査きれ、その全貌が明らかになって
います。
 それによりますと、発見事時は杉林の中に高
さ九〇cm程の墳丘があり、その中にこの石棺が
安置きれていました。おそらく円墳であったと
推定されています。
石と石との間のすきまは粘土で塞いでありました。
その大きさは、長さが二五大cm幅が六九cm、
深さが四六cmで、この種のものでは例の少ない
大きいものです。
 被葬者は明らかではありませんが、築造年代
は六世紀頃と考えられています。
 なお、本古墳は、県楯定史跡の第一号として
も価値あるものとなっています。
平成四年三月
  山形県教育委員会
  山形市教育委員会
他にも古墳はいくつか見てますが、たいがいこのようにコンクリートの枠が組まれていて、以前は、その枠も6世紀の人が造ったんのと思っていたこともありましたが、いくらなんでもありえないでしょうネ!?
山形において、かなり重要な文化財のようですから、もう少し道案内のようなものが欲しいところです この丘全体が仁徳天皇御陵のような巨大な前方後円墳だったりしたら、Y先生は必死に掘りに来るでしょうな・・・!?