宮城県村田町 蔵の町並み


2026/07/20(月)

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山形市からは大変近い川崎町の南隣に村田町はあります。 『蔵の町並み』とか『みちのく宮城の宮城の小京都』とかのキャッチフレーズで呼ばれる文化の町というのは、最近知りました。 村田と言えば、菅生のサーキットくらいしか知らず、すごい近所なのにその町並みを見ないわけにはいかないとやって来ました。 500mくらいの蔵の町並みに、写真のようなトイレ付き無料パーキングが3箇所くらいあって、車での訪問客を厚遇してくれています。
さっそく、きれいな瓦と白壁のお蔵が向かえてくれました。 町並みの一番北のトイレ 北となりはカフェになっています。
靴屋さん
2011年の大震災で崩壊したり、その後空地にした建物も多くあったそうで、ここもその一つなのか? こちらは現役の酒屋さんのようです
乾坤一
時は正徳二年。江戸時代中期、紅花などの拠点として栄えていた村田町に大沼酒造店は誕生した。 HPから引用
それから300有余年の時を重ね、また新たな時代を迎えた今日。
大沼酒造店では受け継がれた伝統の中に、若い感性の手仕事が力強く動き始めている…。 引用終わり
カネショウ大沼邸 数少ない営業中蔵
中央の篭には紅花
村田商人やましょう記念館 蔵の町並みのメイン蔵 HP引用・・・1750年代頃に紅花の栽培が盛んになり、村田町は仙南地方の集散地でした。 その当時、当主であった大沼正七氏は紅花や生糸などを商取引する傍ら、味噌や醤油の醸造販売、 土地や金銭の貸付などを手広く行った豪商として知られています。
中の店蔵です。2階は物置として使用し、外壁は土壁でできています。店蔵を持つことができたのは有力な商人だけでした。
母屋は大正5年建築です。
高い天井と、黒壁に、大正時代の趣が感じられます。
母屋から続く内蔵は、安政3年建築です。
何重にもなる重い扉は、防火意識の強さが伝わるものです。・・・引用終わり
ヤマ二邸 村田町のゆるキャラ『くらりん』
平成26年3月22日にデビュー 耳はそら豆・しっぽは紅花・ポシェットには味来というフルーツコーンなど町の特産品になっていて、なまこ壁という蔵の伝統的な模様のパンツをはいています・・・とのことです 話は、ちょっと戻って、『蔵の観光案内所』あたりで暑さを耐えしのんでいたら、筆者と同年輩くらいで、髪は薄く、眼鏡はないオッチャンと、目が合いどちらからともなく「こんにちわ」の挨拶 「大沼さんが多いですが、山形にも酒造業などの大沼さんがいますが、関係ありますかね?」の質問に対して
「村の中のたんぼの『村田』や、大きい沼の『大沼』など、どこにでもいらっしゃるのじゃないかと思いますよと」などのはいて捨てるような返事 捨てられるのも癪なので「村田には殿様がいらっしゃったんですか?」と、得意?の歴史談義にもちこむと、乗ってきて 「この町の殿様は伊達政宗の七男の伊達宗高さんで、近くにお城があり、また『龍島院』というお寺が菩提寺です。 蔵王の刈田岳が噴火した時、現場に行って収まるようにお祈りをしたりっぱな殿様でしたが、20歳で疱瘡のため病死しました」
いろいろ話を聞かせてくださいました。「サンドイッチマンのダテの親戚のお殿様ですか?」など、時代を超えた話に花が咲き、しばし酷暑を忘れました。 貴重な村田の物知りオジサンを長々と占有してはマズイかなと思い、「また今度来た時、話の続きをしましょう」と話の腰を折って別れ、町並み南方面を探 そろそろ蔵の町並みの南端かと思える場所から北上して戻ったら、若い女性と会話をしているのと再会。オジサンが「こちらが、案内所の方です。『やましょう記念館』の中も案内してくれますので、 中の写真も撮っていきなさい」と言ってくれて、さすがにちょっと暑かったので
「じゃあ、お言葉に甘えてちょっとだけ入らせていただきます」と玄関に進入させていただきました。
菩提寺の『龍島院』は、ここから近所のようでしたが、酷暑もあり、すべてこの日に見てしまったら、再訪する口実がなくなると、次回にして帰路につきました みちのく宮城の凱旋門? 次回は、お寺、お城、ふるさとおとぎ苑などにも行ってみましょう
『村田町 蔵の町並み』 了