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2005/02/05 ネタ切れオプション@で拉致横行時代の秘蔵写真群を公開!

 最近マチュピチュのテレビ番組がけっこう流されているが、ジョンイルの拉致が横行していた時代に編集長は南米をブラブラしていたのだった。髭ボウボウのこきたない身なりだったので背後に工作員の影を感じることはなかった。それともかの国には遠く離れた南米までの工作員出張費なかったのか

アンデス

1977/08/09アンデスへ出発。
 数時間で3000mくらいまで登っていく電車の旅はアンデスに着たんだなと実感させてくれた。オロヤの付近の山は日本では見ることのできない絶景であった。
 ワンカイオの駅付近に雑貨屋があり、日本人のオバチャンが店主であった。リマに戻ってから日本人の式典でそのオバチャンがリマの知人の親しい人で、山形の出身者だということを知ることになるのだ。

高度3500mくらいの地点。オロヤ鉱山の近く
mapA

電車には酸素ボンベが積まれていて高山病で使っている客もいた。

電車の終着駅はアンデスの町ワンカイオである
mapB

ここらからアヤクーチョにかけて数年後からセンドロルミノソなどのゲリラの拠点になる。 mapC

08/12 クスコ着  mapD

アヤクーチョから山岳道路28時間のバスの旅。今となっては考えられませんなあ。

高台から眺めたクスコの街

インカの壁
カミソリの刃も入らない
日本の城より精度高い

パレード
こういったのはよく目にした

クスコのセントロの教会
観光客がいっぱいいた

ホテルに着いてKは叫んだ
「日本人いるか?」
一人旅の女性旅行者がおり情報収集

サクサワン城壁へ登る道でリャマたちと出会う。
リャマという動物の存在この旅まで知らなかったので驚嘆したのだった。

サクサイワマン城壁
年一回『太陽の祭り』が開催される場所なのだ

マチュピチュ  mapE

出発した電車の窓からクスコの街並み

マチュピチュの麓にアグアカリエンテスという駅があり、温泉がある。ペルーのオヤジと同浴

マチュピチュは1911年にアメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガムが再発見した。誰がいつ頃何のために築いたのか現在も不明なまま。凄まじい破壊と略奪を繰り返したスペイン人たちから400年近くも逃れて誰の目にも触れず眠っていたインカの空中都市。 遺跡の面積は5キロ平米、標高は2,450メートル、 最盛期には1万人〜2万人の人口があったのではないか、と言われている。

あちこちで修復作業をやっていたが現在はどうなったのか

端の神殿にあるインティワタナという石。日時計だとか太陽を祀る施設だとか、いろいろな説がある。

峰の名はワイナピチュ。頂上近くまで登り途中蛇がいた。バス時刻のため引き返す。

持っているカメラはミノルタSRT101ペルーを去るときペルーホンダの部長さんに売った

ウルバンバ川の深い谷の絶壁に貼り付くようにマチュピチュの段々畑がギリギリのところまで下へ降りている

本神殿のすぐ隣にある建造物で、太古の建造物に見られる特徴的な窓が見える。

つづらおりの道路をバスでアグアカリエンテス駅とマチュピチュを行き来するのだが、帰り地元少年が出発の時「あ〜〜!」と声をかけ道を直降して駆け下りバスと会うたびに「あ〜〜!」と合図をし、終点でチップをねだっていたのだった。
アンデスで 山火事起きた 引火した ・・・ 脈絡もなくアホチン一句

ああ ああ