実弾のない拳銃

 二月に工兵隊に着任して間もなく、一丁の拳銃をもらった。何という名かわからないが、重たくて、かなり旧い型の拳銃であった。タマも二十発ほどついていたが、実弾がなくて全部空包ばかりであった。
 「なんだ。全部空包だけじゃないか。」
というと、傍にいた部下の一人が、
 「型が旧いから、タマの形も違うんではありませんか。ダムダム弾みたいな鉛ダマだったら、そんな形をしているのではありませんか。」
といった。
 私は親父がピストルを持っていたので、子供の頃から、かなりの知識を持っていた。留守中を見はからって、数発ぶっぱなして試してみたこともあった。だから実弾には尖ったタマが先についていて、空包はのっべらぼうになっているといったことも知っていた。ただ父の持っていたのは小型のピストルで、その時貰ったのが大型だったから、空包の先の丸みがやや大きくふくらんでいた。ひょっとすると部下の言う通り、ダムダム弾かも知れんぞという気もした。戦場で空包だけの拳銃を持っていても仕様がないから、見せかけだけでもそういうことにしておこうかという気持で
 「あるいは、そうかも知れんなア。」
と答えた。
 それからの私は、俺の拳銑のタマは空包じゃないぞと、自分でも思うようになっていった。一発試射してみればわかるものを、その結果空包とわかった際の落胆を思うと、試す気になれなかった。それにタマは一発でも無駄に使ってはならない。
 キャンプ3の反撃の際、米兵の胸元を狙って第一弾まで引いて、あわや発射しようとしたときや、部下を四散させた責任から、こめかみに拳銃をおし当てて自決をしようと思った時の私は、空包の拳銃だという意識を完全に失っていた。今から考えると、おかしい事だが、疑念は露ほども湧かなかった。
 バギオが落ちて転進している際に、路傍に一匹の驢馬が立って、ふらふら倒れそうにしていた。これなら拳銑でも殺せると思った私は 「俺にまかせろ」といって、眉間に一発ぶっぱなした。駿馬はびくともせず、わずかに首を横に振っただけで、眉間にも全く傷痕は残らなかった。
 「旧式の拳銑なので、タマが逸(そ)れてしまった。誰かやれ。」
その時芽生えた「やっぱり空包か」という意識を、無理におこしこめてしまうため、私は強い口調で部下に言った。動かない馬を五十センチ位の距離から狙ったのだから、逸れるということは考えられないことであった。
 ダムダム弾というのは、イギリスが造り出した弾丸で、烈傷が大きく残忍なので、使用禁止になっている代物。日清日露の戦争では、日本軍も村田銃につめて使ったという話を聞いていた。拳銑のタマまで造ったかどうかは知らなかったが、知らないのを幸い、それだろうと勝手に思うようになっていった。それほど古ぼけた旧式の拳銃であった。
 拳銃をのぞけば、将校の持っている武器は軍刀だけである。しかし近代戦で軍刀は武器とは言いがたい。だから拳銃は片時も傍から離せない物なのだが、それに役立つ夕マがないとあっては事が重大である。対敵用としてだけでなく、味方に対する権威のあかしとしても、拳銃は役立つものでなければならなかった。そういう希求の意識が、自分自身をも欺くことになるとは、当初は思わなかった。冷静な時には考えられない奇妙な戦場心理であった。