第六章 戦争を詠む百首

         後藤刀志夫 

  短歌

   死刑囚らの声


  工兵学校演習場


兵歴三年間で今に残った唯一の歌。
同室の柘植龍夫君に与え、平田耕造君が通知してくれた。

春立ちし観武ケ原にはらばひてバラの新芽を摘みし一時


  記憶を戻す

終戦後五十年にして語るべき惨あり重きペンを執りたり

地獄篇につづく煉獄篇あれば魘(うな)されつつも記憶を戻す

  輸送船江尻丸

奴隷船以下と書かれある輸送船に我も乗りゐき学徒兵として

三分の二は海没せんと予告され頼むは運のみの輸送船に乗る

吹きさらしの骨組だけの枠ありてそれが江尻丸の便所なりけり

甲板にも兵密集し漸くに座るを得しが脚伸ばせざり

一坪に十三人半といふ密度それが輸送船の割当てなりき

眠る間に人の足載り我が足は人の胴体の上に載りゐき

いつとなく虱が湧けり荷の如く積み込まれたる輸送船にゐて

  バシー海峡

台風を突きてバシー海峡を航きしこと戦中なれど壮なりしかな

胴と脚を鉄柱にしばり台風の荒ぶ甲板に一人残りき

短かかる命なればと台風の海を見たりき体しばりて

台風の海の猛りに万屯のわが輸送船も木の葉の如し

潮の壁は見上げても見上げても尽きざりき輸送船江尻丸の甲板にゐて

  江尻丸雷撃を受く

裸にてありしに魚雷が命中す退船の声に慌てふためく

臆病な人間と吾を知りたりき雷撃受けて船を去るとき

襦袢つけ浮胴衣つけ煙噴く船の甲板を右往左往す

気合かけ飛び込む人を見過ごして海をのぞけばまなこ眩みつ

十メートルの舷より海に落ちゆけば錐を揉むごと突き刺さりゆく

直下せる吾を南の海は呑み弾くが如く押し出だしたり

暗闇となりたる海に一本の角材をつかみただよひてゐし

死の神のマント迫りく夜の海を観念せよとばかり迫りく

音もなく闇より出でし舳先をば助けの神の御手と見たり

  アラビア丸雷撃を受く

魚雷受け傾けるままの船にゐて渇きを癒す術(すべ)知らざりき

海防艦に又助けらる八割が海没したる輸送船より

二番目の魚雷が当りアラビア丸は真っすぐに立ちやがて沈めり

救助にと向ひ来し船も魚雷受けあっけなく沈む様を見たりき

国旗手に唄ふあはれさ波荒くなりたる海に頭浮かべて

海行かばを唄ひつつ波間に浮く兵ら見捨てて離るる心暗かり

  妙義丸空襲を受く

爆弾が二発当りて掃きしごと甲板の兵ら飛ばされ死にき

大鍋の上にも屍体の一部落ち戦争の惨をまざまざと見つ

この度も又助かつたと思ひつつ暮泥むマニラの岸壁に立つ

輸送船にて三度の遭難は稀なりと人言ひ己れもそれを諾ふ

  ベンゲット道キャンプ3の斬り込み

占領はわづか半日翌くる日の襲撃に陣地を奪ひ返さる

小銃のみの工兵隊われら乱射する敵弾にあへなく蹴散らされたり

手榴弾を投げつけられて煙噴くその上をガバと飛び越したりき

炸裂の死角に入らんと飛び越しぬ危機一髪の飛躍なりけり

斬り込みにばったり出会ひお互に撃たず離れし敵若かりき

軍刀抜き電話線を切る半日で奪ひ返されし敵陣にゐて

撃つべきか撃たざるべきか迷ひつつ狙ひ定めしは太っちょの敵

斬り込みに一人となりて自決せんと思ひ拳銃を額に当てし

今ここで死ぬは犬死にと思ひ覚め谷川攀ぢて敵地しりぞく

スコールの襲ふを待ちて岩攀(よぢ)る丸見えとなる敵中なれば

七日間何も食べざり掠めたるタバコ吸ひ得しはせめてものこと

七日目にやっとありつけるイモ二本小さけれどもありがたかりし

食を乞ふ事のなかりし吾なれどその時はひたにイモを乞ひにき

ルソン島に軍刀下げて戦ひし往時のむざんに悪寒を覚ゆ

  武装解除

鳥海山を超す高所での武装解除そこが煉獄の入口なりき

戦場は地獄なりけり捕はれて二月(ふたつき)は苛烈な煉獄なりき

「死の行進」と同じ六十キロの山道を歩かされたり食も水も無く

しとしとと降りくる雨の冷たかり二千メートル超すルソン尾根道

四百キロの貨車搬送は立ちしまま一滴の水も補給されざり

無蓋車に材木のごと詰め込まれ停車をすれば礫(つぶて)のあらし

  強制労働

収容所長は青鬼監視兵(ガード)らは赤鬼と見き地獄極楽図絵の

骸骨の如き裸体を日に曝し土方仕事に追ひ廻されき

匙三杯半の粥の二食で重労働日を追ひ死者の数まさりゆく

罵声浴びせ警棒振ひしガードらは赤鬼さながらの面相なりき

帽子なく上衣も破れ靴もなし土方仕事に追はれ追はれて

ガッテン・サン・ノブ・ビッチ
くたばれ・このろくでなしといふ罵声五十年経ても耳底に残る

脈とらず熱も計らず括りつけ墓地へと運びし所業許せじ

手首より細くなりたる上腕部を夜中にさすれば死は迫りゐき

ゴミ焼場の火を分火して戦友らの遺髪を燃しき詫びを言ひつつ

万年筆を一本の煙草と交換しこの世のなごりと深く吸ひにし

蜘蛛の糸をつかむ思ひに農業班に応募せしこと吾を救ひぬ

ヒトよりも一段下の存在と思へばPWと呼び合ひてゐき

名を言はず聞かぬが礼儀 階級なき収容所に飢ゑ疲れてい寝て

二万人の捕虜が虐殺されしこと比島戦記のどれにも見えず

  死刑囚らの声

山下奉文の独房のありし収容所に吾も四週間拘禁されき

不自由の極みの暮らし死刑囚と同じ柵内の第一収容所

八方の櫓より放つサーチライトに寸分の動きも監視されゐき

飯貰ひにキッチンへ行くが最大の自由なりけり未決キャンプは

十五基の監視やぐらに取り巻かれ第一キャンプに夜の闇無し

山下奉文の辞世の漢詩の朗吟にどよめきあげたる死刑囚らの声

辞世の詩に七たび生れてとありし故 獄中の死刑囚ら叫(おら)び応へき

  捕虜墓地

フィリピンのカンルバン墓地こそ哀れなれ飢ゑと苦役に死せる数二万

墓標の数かっきり二万と聞かされし直後の墓地に霊の声湧く

捕虜墓地に湧けるその声一斉に「お前が証人だ」と言ひて迫り来

お前が証言しろ 命令口調の霊の声は右前方の一隅に湧く

二万柱の霊が一斉に出す声にうかうかしては居れじと思ふ

  遺骨収集

バギオなる陸軍病院の埋葬地 麻袋(ドンゴロス)三十杯の遺骨出で来つ

数百の遺骨次々と出でてきて泣く間もあらず詰め込み急ぐ

  キャンプ3

戦友の遺骨を金にて売らんとする小学校長がゐて口惜(くちを)しかりき

戦友の遺骨の冷えが膝に沁むジープニーに乗り山路帰れば

父親の仇(かたき)と吾をつけ狙ふ男もつひに手は出さざりき

  カバヤン

かたはらに遺骨の袋を並べ寝る校舎の外にくつわ虫鳴く

フィリピンにさむらひゐたり山奥の村に破れし服をまとひて

  焼骨

焼骨に棒もてつつくを止めてくれと悲痛に叫びし遺児を忘れず

シスター・ウンノの祈りよとどけわれらただ焼骨をする人足たれば

  シスター・ウンノ逝く

月山は雲に隠れぬバギオにてシスター・ウンノは身罷りにけり

シスター・ウンノがバギオに逝けりわが出せし年賀の便りを見ずに逝きけむ

貧しきを救ひしシスター異国にて命終ると聞けば悲しき

シスターより種貰ひ来て育てたる夜来香( イエライシヤン)もみな枯れ果てぬ

シスターが逝くと聞ける日わが室のカニサボテンが一気に散りぬ

落合秀正みまかる
ますらをの落合秀正逝き給ふ晩年は二つの癌とたたかひ

  釜墓地

ハウス・テンボスに隣接したる釜墓地に詣づるは山形の吾らのみなり

世話やき婆さんが傍らにつきてありし故遠き釜墓地の詣でかなひつ

米軍官舎に監視さるるごと見下ろされ釜墓地は背を向くるがに立つ

重労働と飢ゑに死にたる戦友ら釜墓地になほ迷ひ居らむか

米と酒、線香蝋燭を供へしが塩を忘れきしことに気付きぬ

平成十年春の叙勲で勲三等旭日中綬章を受く
勲三等を受けて直ちに皇居辞し靖国の霊友(とも)らに報告したり

補記
昭和五十一年に、
『山下奉文の追憶(三十年祭に際して)』
 というパンフレットが贈られてきた。六十五
の小冊子であった。その中に、私の短歌五首が載っていたので、そのまま転載する。

  山下将軍受刑の地

草をわけ柵ぬけ畑を横切りて辿りつきたる将軍受刑の地
有刺鉄線をもぐりて入れど径もなし将軍が果てたるロスパニオスの斜面(なだり)
山下奉文が吊るされしマンゴーの木は枯
れ尖を切られあり
                        (後藤利雄著『ルソンの山々を這って』)

 贈り主は、嗣子の山下九三夫氏であったが、住居の記述は無かった。