イグアス,アルゼンチン,チリ,サンティアゴ,バルパライソ
ブエノスアイレスには3日間くらいいましたが写真これ一枚。ペルー、ボリビアに較べてかなりヨーロッパっぽく、メスティーソの顔立ちの人は見うけられません。女性もお高くとまっているような印象で、気軽に声などかけれない存在に感じました。
写真は現在は『アルゼンチン空軍広場』、市内中央部のサン・マルティン広場のとなりにあります。英国との間でフォークランド紛争が起こるまでは「英国広場」と呼ばれていましたので写真は「英国広場」が正解です。写真の塔は「英国塔」と呼ばれ、アルゼンチンへの英国移民たちが建てたものだそうです。
不思議なことがありました。旅行者たちから「ブエノスはこのホテルがいい」って聞いていて訪れたホテルで「ハポン、ノーノー、部屋無いよ!あっちに行け」って言う感じの冷酷無比な扱いをされたのであります。取り付く島もあったもんじゃあありません、なにがなんだか分からずに「まさかブエノスのホテル全部じゃないだろうな」って疑心暗鬼で町をさまよいました。第二候補で恐る恐る「部屋あるかい?」って聞いて「シーブエノブエノ」って愛想良く返事もらって一安心しました。
後日談です。チリで旅行者から聞いた話ですが、ある日本人が当該ホテルとなんらかのトラブルを起こしていたらしいのです。・・・これが2ページ前の話の真相です。
そこまでしか分からなかったのですが、『汚い戦争』の影響は少なからずあったのではと思わせる雰囲気は思い出せるような気がします。
しかし、筆者は呑気にも毎晩レストランでワインとステーキ食って酔っ払っていました。なぜか日本人とめぐり合わずアルゼンチンはずっと一人旅 で結構孤独感を味わってしまいました。
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