イグアス,アルゼンチン,チリ,サンティアゴ,バルパライソ
若者が多かったけど、多くの人が登っていました。時は1977、アジェンデが殺された1973年のチリ・クーデターからまだ4年後で、夜間だけではあるがピノチェトの戒厳令が布かれていた時期で、若者たちは高い場所で政治的な論議をかわしていたのではないでしょうか?「アジェンデの時のほうが良かった」「いや、あいつはカストロの友達だからアメリカ寄りの現政権のほうがいい」etc.etc
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