初めての源流は冒険ごっこ?

                南会津・檜枝岐川実川本流

           文 水上康子 撮影 細山長司

いつもは多摩川本流のヤマメと格闘している。
なかなかどうして、本流釣りも楽しい。
だけれど、源流釣りもまた楽しいという。
初めての源流イワナ、初めてのキャンプ、初めての滝登り、
それらはゾクゾクするほど心をふるわせた。
それは、遥か速い昔の冒険ごっこの思い出を呼び戻してくれた。


源流ウーマン、一丁あがり

 7月、多摩川山女魚道会長の細山長司さんから「源流釣りもいいものですょ」とお誘いを受けた。生まれて初めての源流釣行である。私、本流釣りを始めて3年、上達の声を聞かないまま下手の横好きで、多摩川本流へ長ザオを持って通っている。最初は修氏(主人)の付き合いでシプシプ始めたヤマメ釣りだが、始めてみるとこれがなかなか面白い。今日まで細山さんの多摩川山女道講座(月刊「つり人」掲載)を教科書として日夜研究に励んできたのであるが、その成果といえば、アタリがなくても退屈しない忍耐カがついたぐらいなもので、本当に本流釣りは難しい。
 源流釣りとは果たしてどんなもんか。未経験の上に、体力も根性もない私が本当についていかれるだろうか。一抹の不安が頭を掠めるのだが、それ以上にまだ見ぬ源流のイワナたちの顔、渓で過ごすテントの夜は魅力的で、心誘われるのであった。
 8月に入り仕事が忙しく釣行準備もできぬまま月なかばになってしまった。ウエーデイングシューズ、ザック、シエラフ1式を買いにいく。時期が遅いのでシューズは売り切れ「この時期にきてもらってもねぇ」とお店の人の冷たい言葉が返ってくる。何軒も何軒も捜しやっとウエーデイングシューズに巡り合えた。これで格好だけはにわか源流マンならぬ源流ウーマンになったわけである。
 8月21日午後11時、我家を出発。一路檜枝岐へ。メンバーは、あの本流釣り名人の細山長司さん。海の近くで育ちクロダイ釣は得意だが、渓流釣りは始めて4年、しかし、のめり込みかたは人並みはずれている修氏、そして何をやっても様にならない私の3人である。
 午前4時、空が白々と明けてくる頃実川に到着。車を林道の脇へ寄せ暖房の入った車内から1歩外へ。凛とした冷気が頬を叩き思わず身震いする。眠気が一気にさめ、なにやら厳粛な気持ちになる。
「さあ、いよいよ始まりだぞ」隣で細山さんが素早く身支度にとりかかる。私も遅れてはならじと気は急ぐのだが、初心者には靴をはく順序さえ難しい。

初ヒットはチビちゃんだったが

 黒溶沢の下流右岸の小沢の脇を選びササを分けながら入渓。これが地図を見て、何度も思いを馳せた実川なのだと感慨ひとしおである。このあたりは平瀬が続き、ところどころによさそうなポイントもあるが、異溶沢から鉱毒が入るので魚はいないとのこと。サオはださずしばし渓にそって歩く。
 赤安沢を過ぎたあたりから、細山さんだけサオをだし、毛バリでイワナをねらう。歩きながらポイントを見つけるとスルスルとサオを伸ばし2、3度振り込んではまたサオをしまい歩く。その速いこと。私はサオもださず、ただ歩いているというのに追いつくのがやっとである。細山さんのサオは、まるでワンタッチ式で伸び縮みするマシックハンドのように自由自在である。本流だけでなく源流でも名手なのだと、私はゼイゼイいいながら感心してしまうのだった。ほどなく8-9寸級のイワナが次々釣りあげられる。本流の魚とはまた違う黄色の点がきれいな天然イワナである。その美しさに見とれていると、「さあ、このへんから釣ってみませんか」と嬉しい言葉。
 待ってましたとサオを伸ばす。修氏と私はエサ釣りである。初めての渓にきて最初にサオを入れる瞬間ほど感激の時はない。未知の渓への憧憬、胸の高鳴り、この気持ちはちょっと他では味わえない。そして、第1投、白泡の脇の流れの緩い岩陰をねらってエサを入れる。コツとアクリがある。ヤッター上がってきたのは7寸ほどのチビイワナ、ちよっと小さいけれど記念すべき初ヒットである。丁寧にハリを外し流れに戻してやる。イワナは体を翻して元気に泳いでいった。
 Flの滝を越え、初めての通らずになった。垂直に近い崖(少なくとも私にはそう思えたのでした)を指さして
「ここを登りましょう」と細山さん、「登れますか?」私は上を見上げ返事に因ってしまう。登ったことがないので分からないのである。手と足のうち必ず3点を確保してと教えられ、まず深呼吸し、そして頭の中を真っ白にしてから登り始める。1歩1歩確かめながら登っていく。足は緊張からか小刻みに震えているし、手のひらは汗ばんでくる、心臓は早鐘を打っている。しかし、ゾクゾクするほど楽しい。そういえばこの感じ、子供の頃遊んだ、冒険ごっこを思い出す。もう遥か昔のことである。けっきょくここで50m進むのに1時間もかかってしまった。
 F2の滝で細山さんがサオをだす。カメラを構える私の前で次々と釣りあげる。ここで釣られたイワナたちは背中の檜枝岐魚篭に入れられ晩のおかずになった。櫓枝岐魚篭といえば、これは細山さんが尊敬する、今年92歳になられる只見の職漁師平野惣害さんが25年間愛用した魚篭で、最近念願かなって譲り安け、以来細山さんの宝物なのである。たくさんの魚の脂と囲炉裏の煤で燻されなんともいえぬ美しい光沢がある。その魚篭が今や重たそうに背中で傾いている。
 その少し上の流れ込みでは、修氏がサオをだしている。探さのあるいいポイントだ。目印にアタリがでる。少し送り込み素早く合わせるとサオがグーンとしなる。見事な取り込みで上がってきたのは9寸のイワナであった。
 午後4時、滝の上の山道にテントを張り夕食の準備。本流釣りではキャンプすることはまずないので、自然の中での夕食づくりに私は1人はりきってしまう。今晩のメニューはイワナのサシミとニンニクのタレ焼き、これはニンニクを漬けた甘辛のタレにイワナを20分ほど漬け込んで炊いたもの、白いあつあつ御飯にのせるとなかなかの味だった。そしてクラムチャウダー、途中採ったブナハリタケの炒めもの、野菜サラダどれも最高に美味。
 今日の釣りの話、高巻の話をしながら楽しい夜がふける。皆が寝静まってからも、なかなか眠れない。眠ってしまうのがもったいないのである。輪郭のぼやけた月が私を照らしていた。都会で人間が月や星を仰ぎ、もの思いにふけるように、ここでは今、この月を仰ぐ動物たちがいるのだなどと考えながら自然の中につかっている自分が快感だった。

尺上。だが次の瞬間スカッ!

 翌朝、沢の昔で目が覚める。時計を見ると午前5時、のんびりと覿食の支度に取りかかる。ゆっくり食事をしてモーニングコーヒーを飲む。朝のコーヒーはおなかに染み渡る。
 お昼のおむすびを作り、今日は荷物をテントに置いて身軽な出で立ちで出発。靴やスパッツが乾かずなんとも気持ち悪いが、まあ一度水に浸ってしまえば同じことだ。
 林道をしばらく歩さザル滝へ出る。このあたりはゴルジュでちょっと釣ると高巻になる。今日は荷物がないぶん身軽だが、それにしても下を見ると恐ろしい。滝ツポがエメラルドグリーンに輝いて、吸い込まれそうである。
 そこここにいいポイントがあり交代でサオをだす。8寸級の魚が次々とあがってきた。今日は食べる予定がないのですべて流れにリリース。
 硫黄沢と赤倉沢の合流地点で「そこ釣ってごらん」と場所を譲ってもらいサオをだす。大きな岩があり下がえぐられている絶好のポイントである。岩陰に憺れてエサを沈める。エサが岩の下に吸い込まれるように流れていったと思うとすぐにコツとアタリがくる。反射的に合わせてしまう。サオが弓なりになりグググと大きな引き「尺上だっ」そう思った瞬間スカッと外れてしまう。アワセが早過ぎたのである。イワナは一呼吸おいて食い込ませて釣る、頭では分かっていてもついついアタリがくると、いつものヤマメ釣りのように慌てて合わせてしまう。後ろで見ていた2人に「大丈夫、まだ釣れるから」と慰められ「何cmあったかなあ。下手だなあ」と1人自己嫌悪に陥ってしまうのだった。
 この合流点を過ぎたあたりから景観が変わり視界が急に開けてきた。草花が陽を浴びて眩しいほどに輝いている。その草とまったく同じ色をしたバッタがあっちこっちで楽しそうにピョンピョンと跳ねまわる。景色とは反対に渓は水量がグッとへり、いよいよ魚止に近づいてきた様相である。
 ここで修氏はエサから毛パリにかえ、初めての毛バリ釣りに挑戦。ポイントに振り込むとイワナが毛バリめがけてでてくるのが見える。素早く合わせサオがしなるが、アワセが早すぎて食いが浅かったのかこれまた外れてしまう。殆念ながら毛ハリでの記念すべき1尾めは次回の釣行になった。
 山の天気は変わりやすいというが、今日は全く変な天気である。陽が照ったと思うと雨が降り、雨具を着るとまた照り返す。さっきまで落ちていた雨も、今は嘘のようにギラギラと太陽が照りつけている。隠れる所もなく陽のシャワーの中でおむすびを頬ばる。時計を見るともう2時、私のペースがのろいせいで魚止までいく時間がなさそ
うである。残念ではあるがここで納竿になった。

 サオをしまい釣りのぼったコースを戻る。この頃にはまた雨が強くなった。
 ザル滝手前の大高巻が最後の難関である。ここは泥の急斜面でササにつかまりながら細山さんの足跡をなぞり1歩1歩慎重に進む。自分では慎重に進んでいったつもりだったが、ついうっかり雨でぬれたササの茎に足をのせてしまったらしい。ツルッと滑り一瞬ぶらさがってしまう。心臓が止まる。冷汗とは一瞬にしてかくものだと初めて知った。高巻を終え林道にたどり着いた頃には足はガクガクであった。
 テントに戻り素早く帰り支度。午後4時、幕場を後にした。途中、サンショウウオ小屋の横を通る。なんでもサンショウウオはこの地方の名物で今日の宿でもそのテンプラが食卓に並ぶとのことであるが、昨日溜まりで見かけたかわいい姿を思い浮かべ、複雑な気持ちになる。
 林道のわさには、これから季節を迎えるキノコたちが顔をだしている。
 檜枝岐の宿”みちのく”に着いた頃には、もうとっくに日も暮れて、空には満天の星が輝いていた。
 無事戻ったことに感謝し、3人でビールで乾杯。一杯のアルコールが体に染み渡ると、私の中で充実した満足感が広がっていった。
 宿でごちそうになったマイタケ御飯がまた絶品で、さらに私を幸せな気持ちにしてくれた。
 露天風呂にどっぷり浸り2日間の釣行を思い浮かべる。いつできたのか足には大小さまざまな青アザがあり一番大きなものは直径20cmほどもあった。
 これは頑張った勲章なのだと、青アザさえも誇らしい。
 空を見上げると昨日見た月が、昨日と同じように私だけを照らしていた。
        
                                                                 (みずかみ こうこ)


釣り・過行適期 5月連休頃から雪代が始まり5月いっぱいで終わる。
エサ  オニチヨロ(現地調達は舞埋)その他予備エサとしてキヂ。
害虫  特になし、照の多い所である。
用具  数力所通らずがあり泳ぎか高巷を強いられる。15mザイル1本。
地形図 2万5000分の1「燧ケ岳」「帝釈山」「川俣温泉」。
交通  車、東北自動車道宇都宮I・C下車。鬼怒川、川治方面へ田島町早坂から館岩、伊南村、檜枝岐方面。七入から林道へ入る。
その他 檜枝岐村に付営の公衆浴場が2ヶ所ありおすすめ。
遡行年月日 1991年8月22日〜23日。
メンバー  細山長司、水上修、水上康子(多摩川山女魚道)。

 

 

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