顎を削ぎとられた男

 転進援護隊として私がもらった兵の中に、Uという文句の多い上等兵がいた。始終何かを咎めていなければ気がすまないといったふうの男であった。隊長の私へは直接文句を言えないので、当番兵に向ってあてこすりや皮肉をいう。うるさい奴だなといささか僻易していた。
 この男が、松林の砲撃で、顎を削ぎとられてしまった。むき出しになった舌が四十五度以下にだらりとさがって、下には何もついていない格好になってしまった。金谷上等兵の遺品を点検している吾々のところへ彼はとんできて、はげしく指さしながら何か文句を言おうとした。だがロロロ‥というだけで言葉にならない。その時、私は彼の下顎がないのに気付いたが、彼自身もはじめてそうなった自分を意識したらしかった。
 下顎をふっとばされながら血は流れていない。どうしてこうなるのかわからなかったが、破片でやられた場合は血が出ないのである。前夜踵を削ぎ落された男もそうだったが、血は全く止ってしまっている。これが救いと言えば救いであった。
 Uは態度を急変した。自分が余りに文句を言い過ぎて、天罰として顎を削がれ、話ができないようにされてしまったのだというふうに彼は感じたらしかった。それまで文句を言い続けてきた人たち、階級の下の人たちにつぎつぎUは頭をふかく下げた。そしてそれでは足りないと思ったのか手をあわせて拝む恰好までした。言葉が言えないだけにそれはあわれであった。
 私はあやまりつづけるUに向って言った。お前はそのような大怪我をしたのだから、我々と一緒に行動はできない。これからすぐ野戦病院にゆきなさい。野病も移動中だが、急いで行けばすぐ追いつくだろう。我々は敵がきたら戦って味方の転進を助けてやるのが役目だから、そう早くは動けないし、第一包帯ひとつしてやれない。こう言うと、彼はぎょっとしたらしく姿勢をかえたが、間も無くうなだれてポケットから手帳を出し、何やら書きはじめた。
 当時野戦病院に行けと言うのは、死にに行けと言うのも同じであった。野病には医者はいるが薬もなく注射液もなかった。おまけに食べ物は大匙一杯ぐらいしか支給されないということだった。部隊にいれば戦友がいて、食料の心配ぐらいはしてくれる。食うことから自分でしなくてならなくなれば、重病人はとても生きてゆけない。兵隊たちは野病に行けと言われるのを極度におそれたのも尤もであった。四十度位の熱で寝こんでいる者も、そう言われると、がばっと跳び起きた。自分はこの通り元気です、野病には行く要がありませんということを示すためであった。
 Uも瞬間的に、意外だという表情を見せたが、すぐうなだれた。そして手帳に、これから野病を追いかけますと書いた。そして何々は誰に何は誰にというふうに、恰も形見わけでもするように、所持品を分配しようとした。私へはジャックナイフをあげますと書いた。米もありますから食べてくださいとも書いた。おいUよ、お前は何か勘違いしているのではないか。怪我を直してもらうため野病に行くんだよ、食料も装具もみな持ってゆきなさいと私は言った。それでもUは無理やりジャックナイフを私に握らせた。私は内心、これはUの遺品になるんだろうが、できたらもう少し軽いものの方がよいがと思った。
 それから四、五日して、我々が山中にわけ入って宿営していた時、包帯を顔一面巻きつけたUが遠くから腰をかがめかがめ訪ねてきた。そして手帳を出して、自炊をしてゆくために、ナイフが必要だから返してくださいと書いた。私は喜んで返した。そして当番兵を呼んだ。食料があったら、少しでもUにわけてやりたかったからである。だがナイフを受取ったUは、忽ち姿を消して呼んでも現れなかった。折角返してもらったナイフを、また取り返されるとでも思ったのであろうか、それとも自分の姿を他の兵達に見られたくなかったのであろうか、そう遠く行っている筈がないのに、出てこなかった。
 それからUは何時まで生きただろうか。復負者の中に下顎のない男がいたということを聞かなかったから、何処かで死んだに相違ない。とするとあんな恰好で暫らくでも生き伸びたことは、却って気の毒であったと言わなければならない。その時の砲撃では、粉々にふっとんで形をとどめない人も何人かいたが、そういう潔い死に方をさせなかったところに、Uが直感したように、天のいたずら心が働いていたようにも思えてくる。全然話のできない人間になってしまったのが、人一倍おしゃべりの文句屋であったじだけに、そんな勘ぐりもさせられたことであった。

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