銃をステマシタ

 フィリピンのルソン島でのことである。バギオが落ちて、第一線から後退する途中、濁流の川(アグノ川)を渡った。水は肩を没する深さで流れも早い。昔の大井川の渡しよろしく、頭上に装具をかかげて渡った。ところが、渡河の最中に米軍の飛行機に見つかり、内心大いにあわててしまった。しかし、川の真中では逃げるに逃げられず、ゆうゆうと裸で歩いて行ったので、土民とでも思ったのか、機銃掃射も受けずに済んだ。
 渡り終えて、木蔭で服装を整えていると、村岡という兵隊がわたしのところに緊張した顔付でやって来て、
 「小隊長殿、村岡は銃を捨てました。」
と言う。とっさに、わたしは、渡河をするのに銃が邪魔になるので、それを捨てて来たと言っているものと理解した。戦場で銃を捨てるとは何たることかとあきれ、どなりつけるとともにどう処置すべきか考えた。銃を捨てたのは戦闘を放棄したと同じである。そういう場合、即座に銃殺刑に処する権限もわたしには与えられていた。
 そこへ村岡の戦友がとんで来て説明するところを聞くと、川の中で足をすべらし銃を落としたのだという。足で探ったが、流れが早いために拾えなかったというのである。
 鹿児島児出身の村岡は落としたのをステタと言っていたわけで、その戦友がいなかったら、村岡はどう処置されていたろうかと今でも思い出すのである。(柴田武編「お国ことばのユーモア」所収)