小隊長を解任される

 連隊本部は意外に近いところにあり、夕方暗くなってから発ったのに、夜半頃に到着することができた。私は部隊長の幕舎の側に行き、只今帰着した旨の報告をした。部隊長の水野中佐は、後藤見習士官か、こんなに長く今まで何をしていたかと詰問してきた。熟睡の最中だったらしく眠そうな声であった。起き出して外に出てくる気配はなかった。私はしめしめと思った。この調子なら、大きな荷物を見つかることも、そうひどく油をしぼられることもあるまい。
 部隊長からは、これまで会えば文句ばかり言われてきた。一寸したミスでも目ざとく見つけ出して追求してくる。そういう目に何度か会っていたから、此の度はひどいぞという覚悟をしていた。− 青白いインテリで、亡国的思想を抱く教授から学んだ危険な奴で、軍人精神の何んたるかを知らない青二才で、英語などという敵性語を学んできて得意になっているおっちょこちょいで、金玉を持っているかどうかわからないへなちょこ野郎で、強度の眼鏡をかけた虚弱者で、臆病者で、猫背で、のろまで、仕方のないでくのぼうだという印象が先にくるのであったろう。顔を見ると憎さげに文句を言い、弁明にすら耳をかそうとしない部隊長であった。今度はこちらにも非があるので、何と言い逃れたらよいか私も不安だった。それが丁度一番眠い時刻に到着したため、くどい追求をまぬがれそうであった。私が弁明しかけると、面倒くさそうに「副官によく報告しろ」といって寝てしまったようだ。
 この頃、この威張り屋の部隊長にも弱味はあった。キャンプ3の戦闘で、彼は配下の各中隊を敵中に置き去りにしたまま、後方に逃げ出していたからである。前線の中隊が全滅するようなことがあったら、部隊長自ら手兵を率いて敵中に斬り込んでゆくと、最初は勇ましいことを言っていたのだ。それが綾部中隊の潰滅につづいて、川越中隊も全滅したものと山上から見てとった部隊長は、師団司令部に無線連結して、工兵隊本来の任務に戻してくれるよう何度も嘆願したという。ナギリアン街道を進攻してくる敵戦車に体当りして死にたい、これこそ工兵隊の本来の姿だというような事を繰返して言って、とうとう師団命令をとりつけ、部下の大部分をキャンプ3の敵中に置き去りにして、すたこら後方へさがってしまったのだ。
 この行為は川越中尉や我々を大いに憤慨させた。部下を見殺しにするとはこのことで、何という卑怯な行動か−川越中尉も言葉に出して部隊長の行為を非難した。−−こういう弱味を握られていたので、或はこの頃の部隊長はだいぶ軟化していたのかも知れない。覚悟してきた面罵、難詰はどうやら受けずに済みそうであった。
 隣の幕舎にいる副官の網屋大尉に対して、私は中地区隊の転進援護隊長を命ぜられたことを強調し、弁明した。そのため常に最後尾を進まなければならなかったこと、おまけに当番兵が熱発で倒れ、四日間も眠りつづけて死んだため前進できなかったことなど言って、申し開きをした。
 しかし副官はすらりとは許してくれず、キャンプ3出発の暗から今日に至るまでの報告書を書いて提出するよう求めた。気配から察して、どうやら私たちは逃亡者の疑いをかけられはじめていたような気がした。
 ここで転進援護隊は解散し、それぞれもとの中隊に分散した。私は二中隊所属の部下十名足らずを率いて、その夜の明け方頃に落合隊に着いた。ところがここで私は全く思いがけない事態にぶっつかった。というよりこっぴどい報復を受けることになった。二中隊はわたくし抜きに編制替えされていて、私は最早小隊長でもなんでもなくなっていた。永田准尉がまた小隊長に復帰して、緒方明軍曹以下、私の配下の者が殆んど永田小隊に所属するよう仕組まれていた。永田准尉は、キャンプ3の激戦の前に自分から申し出て小隊長を私に譲った人である。それが激戦を終えた途端、またぞろ部下を返してくれ、俺が小隊長になるというのであったら、聞えない話ではないか。「わしのような老トルより、新進気鋭の見習士官に小隊長になってもらって、わしは指揮班に戻りましょう」 といったのは、それでは危ない橋を避けるための策略でしかなかったのか、私のはらわたは煮えくりかえっていた。永田准尉を機会をとらえて、ギャフンという目にあわせてやるぞという気がむらむらわきあがってくるのを、抑えることができなかった。
 しかしそんな気配を察しでもしたかのように、中隊長は私に新しい命令を与えた。野砲隊長から、川に橋を架けてくれと要望してきたが、お前が行って断ってこいというのである。「断ります」という工兵隊の返事を携えてゆくのでなく、向うの部隊長にかけあってことわれという命令である。歩兵に転属させられたりして、器材等を全く失った現在、ご要望には応じかねるとつっぱねろ。相手は鬼部隊長といわれて師団参謀もこわがる頑固な老大佐だから、言動に注意して言い負かされないよう注意しろと、落合中尉は注意してくれた。
 貧乏くじはひき馴れていたから、というよりひき馴らされていたから、「また来たな」という思いで、私はその命令を受けた。大佐対見習士官では階級が違い過ぎるが、しかし対等にわたり合えるのは、こんな時しかない。中隊でくよくよしているより面白いかも知れない。それに参謀も一目おく鬼部隊長とはどんな面体の男か会ってみたい気もした。私は単身、鬼のいる洞穴へと急いだ。