一冊の本

 掠奪品の中に、日本語の小説本が一冊あった。内容は、天草の乱の鎮圧に功労のあった、ある部将の事を題材としたものであったような気がするが、その著者も小説名も忘れてしまった。長いこと久米正雄のような気がしていたが、久米の年譜を繰ってみても、それらしい題名が見当らないから、記憶違いであろう。若しかしたら山本有三だったのかも知れないと思って、それも調べてみたが、これまた符合するものが、見当らない。純文学の畑の人の書いたものであったことだけははっきり憶えているが、誰であったか定かでない。
 久し振りで手にした日本人の書いた、日本発行の日本語の本。フィリピンの山の中で、そんなものが手に入るとは思いがけなかったことだけに、心が激しく動いた。私はそれを早速兵隊の手から取り上げて、しげしげと眺めた。
 「小隊長殿、読みおわったら、自分にも読ませてください。」
という兵隊が、二三人いた。私はなるべく早く読んでみんなに回覧しようと答えた。
 その小説を、私は一語一語かみしめるようにして読んだ。一気に読んでしまうには、惜しい気がした。しかし乾いた大地が雨滴を吸いこむように、貪慾にも先へ先へと読み進み、暗くなってからも、コエマツをともして読んだ。
 山中の住民の家の柱には、しばしば松を用いてあり、その一部分に樹脂が淀んで黒褐色に光っているのがあった。われわれはこれを削り取って松灯にし、コエマツと呼んだ。蝋燭と同じくらいに明るく、又それに匹敵するほど長もちもした。少々の風に吹き消されない点ではローソクやランプよりも効果があった。民家に長く逗留すると、黒松の柱は、つぎつぎ削り取られて漸く屋根を支える細さにくびれてしまう。やがて帰ってくるであろう住人のことを考えると気の毒であったが、他に灯火を全く持たないわれわれにとってこれはかけがえのないともしびであった。
 架橋に要した三日間のうち、私はこの小説を三度ほど繰返し読んだ。最初はなつかしさの余り夢中で読んだ。だが二度目には、内容に疑問が湧いてきた。この小説には一人の英雄、一人の豪傑の事しか書いてない。彼に敵対する人間はもちろん、彼の配下の者も、まるで虫けらのように死んでゆく。それに対する作者の同情は全くない。それを今の我々の境遇にあてはめれば、山下将軍一人を偉く書くために、われわれは虫けら同然、死んで当り前の存在に扱われていることと同じではないか。戦意をそそうさせることこの上ない本ともいえる。
 大衆小説家の書いた英雄物語なら、それも許せよう。しかし純文学の畑の小説に、そんなことがあり得てよいのか。きっと私は夢中になり過ぎたため、作者の真意を見落してしまったのだろう。そして私は名もない弱い者への一句一語の同情、思いやりを探してその小説をまた読んだ。主人公の英雄はどうでもよかった。どこか言葉の端にでも、兵卒への思いやりがあれば、それで満足できるという気がした。
 しかしそれは無駄であった。一句一語の思いやりも発見もできない。これは何と非情な小説であろうか。これほど厭戦気分をかきたてる書物はないのではないか。そう思うと、私はその本をびりびり裂いて、燃してしまった。部下の兵隊にはとうてい見せられない。 「あの本には厭戦思想が書いてある。読んだら、戦争するのが嫌になる。そう思ったからやぶいて燃してしまった。」
と、読みたがっていた兵隊たちに私は弁明した。
 その時の心理状態は、平和な今から見ると異常であったかも知れない。今は例えば座頭市とか子連れ狼などが、ばったばったと人を斬り、最後に生き残るのが本人一人であっても、当然のような気で、テレビや映画を見ている。斬られて死んだ連中への同情を、別に要求もしない。人ごとだと思うからであろうか。勇ましい英雄豪傑の物語が、反戦的なものだなどという考えは、どこを叩いても出てこない。
 そこに平和時と戦争中の人間の心理の大きな違いがあるように思える。緑の江の島で、あたら青春の、命を散らした少年の悲劇の歌の方が英雄譜とは逆に、心底に迫って勇気づけになるという、常識的には逆に思える心理状態が生れるものであることを、はじめて経験したのであった。
 そういう心理を、私は復員後も分析しようとも、反芻しようとも思わなかった。むしろ触れたくないものの一つにかぞえて、向う岸にほおってきた。だから著者名も作品名も忘れてしまって思い出せない。しかし今にして思うと、それは戦争中の異常心理として、ただ簡単に片づけてしまってよいと言えない問題が含まれているように思えてならない。小説や物語は平和時のためのものなのか。時代小説は、今に生きるわれわれと、血でつながらない超越的なものであってよいのか。一人を語るために多くの犠牲者をつくり出す作業が、文学などという美名のもとに許されてよいのか。といったことはやはり文学の根本問題として究めなければならないことのように思えるのである。
 当時のわれわれは、毎日死と直面していた。そして将来に生き伸びる可能性を全く持たなかった。日本がどうなるにせよ、ルソンの山中に戦うわれわれが間もなく死ぬであろうことは、栄養失調のため、病死者の絶えない毎日をふり返っても、間違いなく言い得ることであった。それが何のための死か−−日本を救うためなどという高尚な目標は、とっくの昔に通用しない敗残者の群なのだ。かといって方面軍司令官の山下将軍を敗北の将ながらも、英雄にしあげるための死ではない筈である。われわれの死にも何らかの、けし粒ほどでもよい、何らかの意味があってもよいはずだ。日本の小説からそれが知りたかった。そしてそれが無理なら、せめて無意味に死んでゆくものへのささやかな同情がほしかった。
 私が見てはならないものを見た思いで、裂いただけで足りず燃してしまった心情は、異常なようだが、理解していただける面もあるのではないだろうか。