歯を抜く

 二十年の五月のはじめごろと思うが、キャンプ3から、アンプクラオ方面に転進する途中、水牛を仕とめて、むさぼり食ったため、歯にひびを入らせてしまったことは、前に記した。
 そのひびが日を経るにつれてひろがり、六月頃には一ミリ位にもなった。そしてそこから汚物が入り、虫歯になった。なにせ一番の効き歯の奥歯の中央部が割れたので、物を食べても、水を呑んでも神経に直接ふれ、痛いことおびただしい。なんとかこの歯を抜いてしまいたいと思ったが、ひび割れただけで、両方とも頑強に肉にくっついていて、素人芸ではどうにもならない。
 七月頃になって、川越中隊はカヤパ道の補修整備の任を了えて、プログ山東南麓へと入っていって、師団司令部の設営隊と行動を共にしていた。山ヒルのいる峠を越して、降りきったところに小部落があり、そこが次の司令部にどうかということになり、何日間か滞在して偵察を行った。
 その時、私は近くの民家に歯科医の将校が来ていると、誰からか聞いた。われわれの露営地から東に当る小峯の上の民家にいるらしい。私は単身その峯の家をめざして行ったが、径は大分遠まわりについているので、まっすぐ登った方が早いと考え、道のない雑木林に入っていった。十五分もあれば行きつくだろうという心積りであった。しかし暫らくすると身動きも容易でないジャングルに踏みこんでいることがわかり、野豚のつけた道をかがんだり、腹ばいになったりして進んだ。もう少しで頂上なはずだと思うと、引き返す気になれない。
 とうとう一キロもない道程に、四時間もかかって、やっと峯にでることができた。遠まわりでも、径を通っていれば、三十分もかからずついたはずだ。
 そこで民家に泊っている兵隊に、歯科医の将校がいるかと聞くと、ここにはいない、たしかあの反対の峯の上の民家にいるはずだという。腹の立つことったらない。
 今度は径を通って、大急ぎで引き返し、西側の峯をめざした。この峯は東側のより三倍位高い。それでも二時間ぐらいで頂上にたどりつき、歯医者の中佐殿に会うことができた。
 「虫歯が痛んでどうにも仕様がないので、抜いてもらいたくて参りました。」
というと、
 「どれ、この歯かね、そのうち抜いてやるよ。」
 「今後何時お会いできるかわかりません。麻酔などかける必要がありませんから、いますぐ抜いてください。」
と私は必死にくいさがった。
 「そうはいっても君、いまは道具を持ってきていないよ。」
と逃げられてしまった。歯医者がヤットコを持ち歩かないなどということはない事はわかり切っている。しかし階級が違い過ぎて、それ以上問いつめることができない、なるべく早い機会にお願いしますといって、ひきさがるよりなかった。
 それから半月ほどしてやや北に移動したところ、プログ山の真東あたりの峡谷で、今度は工兵隊の軍医で、歯科医の見習士官に会うことができた。年令は私より五才か十才か上に見えるが、階級は同じである。この人を逃しては大変だと思ったので、私は誠意をこめて、懇願した。
 「この歯ですか、こんな固い歯は抜けませんよ。麻酔剤もないのに、抜くなんて無茶ですよ。」
という返答。そこで私はがらりと態度をかえた。
 「貴官は、階級は同じ見習士官だが、医務官である。私は兵科の見習士官だ。戦時においては兵科の見習士官が優先することは、承知のはずだ。歯を抜けというのは、私の命令だと思ってもらおう。」
ときつい語調でこの先任の見習士官にいうと、相手もきびしい表情になり、
 「では抜きましょう。力一杯ひっぱるから、体を動かさんでください。」
とヤットコを取り出した。戦時だから兵科の見習士官が優先するなどというきまりは本当はないのだ。あくまで任官日時の早い方が、上位者になることはわかっていたが、それは彼に逃げ口上を与えないための口実であった。軍隊では「命令」という言葉に弱い。それを利用していやおうなしに抜かざるを得ない事態に追いこんだのであった。
 彼の渾身の力で、外側の半分が抜けた。私はびくともせず、それに耐えた。口一杯血があふれた。
 「神経もー緒に抜けました。これで勘弁してください。もう痛まないはずです。」
というので、残りの片方も抜いて貰う積りだったが、それは断念して、失礼な言葉を吐いたかも知れないが、どうしても抜いてもらいたかったので、申し訳なかった、本当にありがたかったといって、頭をさげた。
 二十一年の十二月、復員して間もなく、私は残りの半分を、山形の歯医者に抜いてもらった。余計なくらい麻酔を打っての抜歯であった。にも拘らず、私はイタタ…と悲鳴をあげて医者を困らせた。そこにはプログの山中での、毅然たる態度はみじんもなかった。人はこれほど環境に支配されるものかと、つくづく思った。