立ち往生

 野豚を射止めた直後であったろうか、確かな記憶はないが、私はSという屈強の若者を死なせた。(はっきりした名前を思い出せないのが残念である。たしか「坂」のついた姓であったように思うので仮にSと記しておこう。)これは戦地でも稀に見る立ち往生であった。
 われわれの幕舎は、現住民の畑の隅に張られていた。ある日の夕刻、Sはその畑をとぼとぼ歩いて行った。大便をしに行くのかなと思って私は見ていた。この頃では大便は四日に一回か五日に一回か行けば良い方であった。食べたものはみな栄養になるので、出るものがないのである。だから便所など殊更つくる要はなかった。たまたまその必要に迫られた者は野糞をすればよいし、尻をふくのも、その辺の草の葉を用いて充分であった。
 ところが、Sは三十メートル程行ったところで立ち止り、動かなくなった。頭を少し前に傾けつっ立ったままである。Sの奴あんなところで何を考えこんでいるのだろうと最初は思った。だが五分経っても十分経ってもそのままの姿勢である。一寸おかしいぞと思って私は例の兵隊を呼んだ。
 さっきから、Sがあすこに立ったまま動かないでいるが、様子がおかしいから見てこいというと、その兵隊は見に行ってひき返し、Sは死んでいますと報告した。何ということであろうか。現役兵で人より体が大きく頑丈そうに見えたSである。それが何故こんな処でしかも立ったまま死ななければならないのか。これはアンプクラオの近くの部落で、当番兵の牧瀬を失って以来、転進に入ってからの二度目の戦死者であった。牧瀬の時にならって、私は彼を鄭重に葬むり、頭部に鉄帽をかぶせて、黙祷を捧げた。
 それまで私は弁慶が、衣川で立ち往生をしたという話を聞き、そんな馬鹿な話はあるはずがないと思っていた。死ねば倒れる、これは自然の理というものではないかと思っていた。−だがSがとぼとぼ歩いて行って、立ちどまり、そのままの姿勢で死んでいったのを見てから、人間には立ち往生ということがあるのだと知った。その時までSは一度も苦痛を申し出るようなことがなかったし、病気にかかったという事もなかった。それがどうしてあんなに突然に死んでいったのか、今以て不思議である。赤痢にでもかかったのを私に秘していたのであろうか、年令的には私に最も近いSだけに、ショックは大きかった。