霊山寺と礎石群 |
略図のようになる。そして礎石群はD台地に(国民宿舎の水源地のある小川の右岸)にあったというのである。 |
進藤茂輔氏と青年がD台地に足を踏み入れたのは、そんな状態の時であったらしい。その時期を私は、昭和四十年代の初め頃ではなかったかと推測する。その頃進藤氏は、長谷堂の廃寺”真妙寺”に興味を持ち、その掘り起こしに懸命になっていた。だからその礎石群にも自然と関心が向いたものと思われる。普通の登山家や山菜採りなら、軽く見て通るところを、かなり詳細に眼底にとどめておいて、略図化されたのは有り難いことであった。 |
進藤氏は今、老齢のため病臥中で、確かめ得る状態にないことば残念だが、こういう具体的な証言を残してくれたのは貴重であった。私は二十年以上経った今になって、やっとそのあたりの踏査を始めているが、その遅さ加減には自分でもあきれている。これも自分の目で確かめた上でと思っているうち、どんどんと年月が経過してしまったものである。そして今、自分の足で歩き、自分の目で確かめてみて、進藤氏の報告が事実であったろうことの確信を強めつつある次第である。 |