2010 山形県リーグ一部 vs 東海大山形高等学校(T)

メッシついでに1978ワールドカップアルゼンチン大会はベスト8あたりからのテレビ中継、新聞で『ケンペス』『ケンペス』の記事が踊っていましたが、その姿をみたのは終盤になってから、イイ選手でした。ただこの大会もいわくありのようで一次リーグ二次リーグの2回のリーグ戦を行いベスト4を決めていたのですが二次リーグで姿を消す可能性大だったアルゼンチンが同じ南米のペルーを買収して6対0での勝利を買い取ったという風評があるのだそうです。
 時の南米、特にアルゼンチンとチリはまさに『汚い戦争』の真っ只中、ビデラ軍事政権がちょっと左がかった国民を大弾圧している真っ最中だったのです。(行方不明者3万にとも言われる)そのために国家威信をかけて代表チームには優勝を義務付け、ケンペスたちはそれはそれは大変だったそうです。そのような中、オランダの夜半暗夫もといヨハン・クライフは軍事独裁政権が嫌いだったので大会への出場を拒否したのでした。当時は「ワールドカップは飽きた。1974年西ドイツ大会で世界的な名声も名誉も手に入れたので出ない」って言ったて報道されていましたが、多分軍事政権、およびその後ろのUSAに対する遠慮があったのか、報道規制みたいなものがあったのではと考えられます。