山辺の西部探索

2004/10/24

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(小)鳥海山
 1060年前九年の役の最終年、安部宗任を追う源義家が山に登って遥かに望める本物の鳥海山に勝利祈願したところろから「御鳥海」と名づけられ、それが「小鳥海」に変わったのだそうじゃ。ところがその時の戦闘相手が蝦夷の大将は鳥海三郎竹衡というからややこしい。そして鳥海三郎竹衡は大蕨方面から作谷沢に落ち延びる途中で討ち取られてしまう。伝承は鳥海三郎イコール安部宗任とも伝えているのじゃ。

大蕨から大朝日まで展望 山頂Pまで車で登り、ちょっと歩けば山頂
鐘楼と鳥居があった 年代もの
安達峰一郎博士が見上げていた大杉はこれなのか
雷で途中から折れたのか
後方より
木の古株にも注目してみたが↑写真より太いのはないようだ 展望台もある
山頂の少し下に石碑 まさかこれらの石碑が源義家時代からのものではないであろうが
大蕨・棚田 2004/10/15 18
籾焼きの煙たなびく秋の空 棚田@
棚田A 籾焼きの煙たなびき火の用心
棚田オーナーの名前の看板 大蕨の部落
北山地区一周  面白はオモシロではなくオモジロと言う

 面白の集落に入る。現在は五世帯が住むという過疎の村である。南北朝時代、寒河江・西村山方面を領する大江氏は、山形・東村山方面で勢力を伸ばした北朝の斯波氏に敗れ、大江町顔好(かおよし)にいた大江氏家臣らは難を逃れてこの地に隠れ住んだ。面白の地名の由来はその際に顔を面に置き換えたことによるという。面白のある北山地区は最上氏改易後、天領から山形藩領、再び天領を経て東村山郡に属して山辺町となったが、今も西村山郡大江町方面との結びつきが強いという。
面白の廃屋@ 面白の廃屋A
面白の神社 遅根あたりだったか
この辺から大江町へも林道あるようだがトライせず
こんなのもあったが下まで距離ありそうなので行かず 湯舟の廃屋
玉虫沼
今年はブナやミズナラ黄色くならない バス釣りより鮒釣りの人が多い
バス釣りも二人いた
花にピント 柿にピント
ヒントは絞り
2003/11/03@ 2003/11/03A
まんだらの里作谷沢探索
畑谷城探索

ほとに