新徴組の墓



 新徴組の組士と家族は、二月ニ十六日から三月一日まで順次(江戸から)出立(三月十四日は 西郷 勝の江戸開城会談)その人数は組士一三六人家族三一一人総計四四七人で、指定された湯田川温泉の宿舎に到着したのは、三月十五日から二十日にかけてであった。

 なお庄内到着後に、組士の子 或は弟も組士となった例が多く、世帯数は一三六であるが、組士の人数は一四〇人を超えていたようである。藩では宿屋と民家三十七軒に分宿させ、隼人旅館に組役所を置き、鶴岡城から係役人が出張して監督に当った。

凌霜史(武山省三氏編)より引用